2020年2月24日 (月)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(4)

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1920年(大正9年)7月26日  福岡日日新聞

『九州テニス協会60年史』に九州テニス界の詳細な歩みが書かれた部分は、署名がなくどなたが書かれたかは不明です。発行に関われた方のお名前はあります。修猷館高校OBの西村さんによると、西日本新聞社に勤務されていた方に違いないということです。すでにお亡くなりになっているとのこと。ご存命であれば西南高校テニス部についてもお話お聞きできたかもしれません。残念です。

図書館で古い新聞は、マイクロ資料として収蔵されています。
最近は何でもデジタル化されて、検索ワードを入力するとモニターに資料が現れるのが当たり前のようになっていますが、古い新聞はほとんどがデジタルデータ化されていません。
35ミリのフィルムの一コマに新聞1ページが撮影されていて、映画のフィルムのようにリールに巻かれています。モニターにセットしてコマ送りし、目当ての記事を探します。
根気のいる作業ですが、当時の広告や記事の見出しが目に入ってくるので時勢に触れることができる楽しい時間でもあります。しかし、戦争が本格的になるにつれて、紙面は嫌な記事にあふれ、ページ数も少なくなります。何てバカなことをしたのだろうと悲しくもなる作業でした。
何回か図書館に通い、新聞をモニターでめくって、福日大会の記事をプリントアウトしました。

西南学院創立の翌年に福日大会は始まっています。
西南学院は4回目からの出場です。
1926年(大正15年)には、2回勝ち進んでいるにもかかわらず、安息日のために棄権しています。西南学院の日曜日問題は旧制中学のテニス部にもあったことが確認されました。
最高成績は、1928年(昭和3年)の準優勝。名門東筑に敗れています。
この時のメンバーの中に、次の年に全国大会に出場する選手もいらしたようです。
西南学院が準優勝した翌年から、福日大会は準硬式ボールを採用します。1934年(昭和7年)からは硬球を使用しますが、その前年から西南学院の参加は確認できませんでした。
以下福日大会における西南学院の戦績の概要です。

1916(大正5年)   西南学院(旧制中学)創立 

1917(大正6年)   福日大会(福岡日日新聞主催中等学校庭球大会)開催

1918(大正7年)   校舎を西新に移転

1920(大正9年)   福日大会に初出場 豊国、佐中に敗退

1921(大正10年)高等学部(現:大学)創設

           福日大会 小倉師範、佐賀師範に敗退

1922(大正11年)福日大会 伝習館に勝利、長崎師範に敗退

1923(大正12年)福日大会 門司商業に敗退

1924(大正13年)福日大会 鞍手中に勝利、鹿島二中に敗退 全国大会準硬球採用

1925(大正14年)福日大会 島原中に敗退

1926(大正15年)福日大会 門司商業、小倉商業に勝利も鹿児島第二師範戦安息日のため棄権

1927(昭和2年) 福日大会 大分師範に敗退。この年からシングルス実施。

1928(昭和3年) 福日大会 鞍手中、小倉師範に勝利。決勝戦にて東筑に敗退

1929(昭和4年) 福日大会 若松中に勝利、長崎商業に敗退 準硬式採用

         第22回全国中等学校庭球大会にてS戸川選手、D板垣/戸川組2回戦敗退

1930(昭和5年)   福日大会 佐賀商業に敗退

1931(昭和6年) 福日大会 京城師範に敗退

1932(昭和7年) 全国大会硬式ボール採用

         この年以降西南学院の福日大会参加確認できず

1934(昭和9年)   福日大会 硬球使用大会と軟球使用大会実施        

1935(昭和10年)福日大会 硬式のみ実施 

1941(昭和16年)全国大会中止

1942(昭和17年)福日主催大会最後(西日本中等学校夏季錬成六大大会)

1943(昭和18年)全国大会中止

1944(昭和19年)全国大会中止

1945(昭和20年)終戦 全国大会中止

西南高校テニス部の歴史についてのブログはここまででいったん少しお休みします。
来週はデ杯ワールドグループ プレイ・オフ日本対エクアドル戦です。

コロナウイルスの影響で無観客試合になるかもしれませんが、私はお手伝いで会場に行きます。

 

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2020年2月21日 (金)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(3)

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私は図書館司書の資格を持っています。
といっても、図書館司書は国家資格ではないので資格試験に合格したのではありません。
広告会社を早期退職する前後の頃に近畿大学通信教育部で所定の単位を取得しました。
その頃、娘は中学受験。妻は看護師(こちらは本物の国家資格)目指して看護学校に通っていました。私だけ何も勉強していないってのもなんだかな、と思いお勉強したのです。
退職後2年間ほど大阪の某大学図書館でお仕事させていただきました。
父の膨大な蔵書整理の役に立つかもと思ったのですが、父が亡くなると速攻で母がほぼすべての蔵書を古本屋に売っぱらってしまったので、役に立ちませんでした。


西南学院高校テニス部の歴史を調べるのに、このスキルは役に立ったと思います。
ネット検索や図書館のレファレンスを利用しました。
国会図書館のデジタルアーカイブで日本テニス協会の古い資料をあたったり、郷土資料として所蔵の九州大学庭球部100年史を読んだり。図書館のレファレンス担当の方にはお世話になりました。ありがとうございました。


探したのは戦前に福岡で開催されていた高校(旧制中学)のテニス大会の資料。
大会の名称と時期がわかれば過去の地元の新聞に当たることができます。
新聞は図書館にマイクロフィルムで保管されていて、閲覧可能。必要なところはプリントすることができます。なんのヒントもなく新聞の紙面を探すのは効率的ではありません。って、ほとんど不可能な作業です。

ずいぶん前の話ですが、福岡におけるテニスショップの草分け「サイトウテニスショップ」さんから、昭和11年頃の新聞の切り抜きを見せていただいたことがありました。テニス関連の記事をスクラップしたものです。
ある日開店の為に店にいくと、店の前に置いてあったそうです。
その切り抜きを見ると、その頃のテニスがメジャーな競技だったことがわかります。
ちょうどチルデンが来日してエキシビジョンマッチを全国で開催した年です。
来日したプロテニス選手が、大学生を指導したことがアマチュア規定違反ではないかと大問題になったようです。大学生のアマチュア規定について学生テニス連盟(学連)理事長の見解が紙面の半分程度を使って掲載されていました。学連の理事長は現役の学生です。新聞は今で言う一般紙。朝日か毎日だったと思います。現在では考えられない扱いです。
それほど、学生テニスはメジャーな競技でした。テニスだけでなく学生野球も。同じ年にプロ野球が始まったようですが、巨人と阪神の試合結果はほんの数行掲載されているだけでした。
福岡で高校のテニス大会が開催されていたならば、その詳細な内容が新聞に掲載されているという確信がありました。


九州テニス協会で資料をあたることにしました。考えてみれば、最初にここに行くべきでした。
古い資料はほとんどないと聞いていたので後回しになってしまったのです。
九州テニス協会の理事長合瀬さん、事務局長の中野さんは西南学院高校テニス部のOBです。その他多くのOBの方が様々な形で九州、福岡のテニス界を支えてくださっています。


1985年(昭和60年)に『九州テニス協会60年史』が発行されています。
18ページから22ページに記述された「福日大会」文中に、
「昭和三年、春日原コートで行われた軟球最後の大会には、六十三校、四百余名の選手が参加し、三日間の熱戦ののち、東筑中学が西南学院を破って優勝した。」
と書かれています。
これにより、戦前に福岡において開催されていた旧制中学のテニス大会の存在と、その大会に西南学院が出場していたことが明らかになりました。


大会名と開催時期が判明したので、図書館で福日(福岡日日新聞・現在の西日本新聞)のマイクロフィルムを借り出し記事を探します。1928年(昭和3年)の西南学院準優勝の記事を確認し、遡って毎年の記事を見ていき、初出場が1920年(大正9年)であったことを突き止めました。
今からちょうど100年前です。

思った通り、主催が新聞社自身であることもあり詳細な記録が掲載されていました。ほぼすべての対戦の選手名とスコア、試合経過が記載されています。
次回はこの「福日大会」について書きたいと思います。

 

文中にある「サイトウテニスショップ」さんは、福岡のテニスプレーヤーにはおなじみのテニスショップです。オーナーの斎藤さんは九州テニス界のレジェンドの一人です。残念ながら若くしてお亡くなりになりました。現在は奥様と娘さんが店を引き継いでいます。
我が家族は、父と兄弟3人ともガットを斎藤さんに張っていただいていました。お世話になりました。
西南学院高校OBの合瀬さんとのダブルスは素晴らしい名コンビだったと記憶しています。



『九州テニス協会60年史』、「ジュニア育成の歩み」の中の写真。「第3回こどもテニス教室(昭和44年8月・九電コート)」に写っているこどもの一人が、たぶん私のような気がします。初めてテニスをしたときです。いや、懐かしい。こんな発見もあるので資料探しは楽しかったです。


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2020年2月20日 (木)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(2)

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大先輩の訃報に接し悲しい思いをしています。
村田隆さん。享年90歳。修猷館高校から西南学院大学。数々のタイトルをお持ちの九州の名プレヤーであり指導者でした。
私にテニスを初めて教えていただいたのが村田さんだったのではないかと思います。
訳のわからん小学生に根気強く球出ししていただきました。
まだまだお元気だと伺っていたので、そのうちご挨拶に伺おうと思っていたのですが…。
お聞きしたいことたくさんあったのに、お話聞けずに残念です。
ご冥福をお祈りいたします。

私がブログで西南高校テニス部について書こうと思ったのは、素晴らしい先輩方、テニスだけではなく社会人としても活躍されている方のことを後輩たちに知ってほしいと思ったからです。
だから、後輩、おまえらもしっかりせんか、と説教するつもりはありません。誇りを持てと強制するつもりもありません。しかし、西南学院テニス部で過ごしたことは、本人の心がけ次第ですがその後の人生に大きな良い影響を及ぼすことは確かだと思います。
前回のブログを読んでいただいた方からコメントをいただきました。共感していただける方がいることがわかり嬉しいです。ありがとうございます。

母校テニス部は盆と正月にOB会が開催されます。組織としてのOB会もしっかりしていて、毎年時期になると事務局からお知らせが送られてきます。戦後、今から70年ほど前からの名簿が整理されているそうです。
昨年のOB会で、テニス部創設の時期について話題になりました。戦前の資料が学校にも残っていないとのことでした。

テニスのインターハイ(高校総体のテニス)は、1908年(明治41年)に関西諸学校連合庭球大会として大阪の浜寺公園で始まりました。
2013年、浜寺公園北テニスコート前に全国高校テニス選手権大会発祥地記念碑が建立されました。以前ブログに書きました。
http://akikanajiro.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/index.html


同じ時期に『高校テニス100年史(全国高等学校体育連盟テニス部)』が発行されています。
高校総体テニス100年の記録がほぼすべて掲載されています。
小ちゃな自慢ですが私の名前もあります。
大学の先輩、大恩人が経営するテニスショップで見せていただいたことがありました。
そのことを思い出し国会図書館検索で調べたところ、地元堺市の図書館に所蔵されていました。

ちなみに、この資料を所蔵する図書館は、県立図書館が3館ほどで全国の市立図書館では堺市図書館だけでした。やはり、インターハイ発祥の地ということでの所蔵なのでしょう。ラッキーでした。
100年以上前の記録から遡り西南学院を探します。
老眼の私には辛い作業ですが、とても楽しかったです。
戦前にテニスのために全国から大阪に高校生(旧制中学)が集うのです。新幹線も飛行機も無い時代に。蒸気機関車で長い時間かけて行ったのでしょうね。ワクワクしながら。不安もあったかもしれない。そんなこと想像しながら。

そんな思いで記録を辿ること22年。1929年(昭和4年)8月1日~4日に大阪浜寺公園テニスコートで開催された「第22回全国中等学校庭球大会」のシングルス2回戦敗退者に戸川さん、ダブルス2回戦敗退者に板垣さんと戸川さんのお名前を見つけました。
90年前に西南学院テニス部があったことが確認されたのです。
戦前に出場された先輩が確認できたたのはこのお二人だけです。記録は完全なものでは無いのでもしかしたらまだ他にいらっしゃったかもしれません。
この後、西南学院の選手が全国大会に出場するのは戦後、学制がが変わってすぐの1949年になります。
インターハイの記録についてはまた今後書いていきたいと思っています。

西南学院高校テニス部に90年の歴史があることはほぼ確実になりましたが、学校の創立は1916年。100年以上の歴史があります。この間の14年。いつからテニス部が活動していたのか?
調べてみることにしました。

次回は、「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」の資料を発見した経緯を書きたいと思います。

1929年(昭和4年)は、私がテニスをするきっかけを作ってくれた父の生まれた年です。数年前に亡くなりましたが、生きていれば90歳だったんですね。
戦前に活躍された先輩方がご存命なら皆さん100歳を超えています。お話をお聞きできないのは残念ですが、記録を辿り皆さんのテニスに対する情熱に思いを馳せたいと思います。

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2020年2月18日 (火)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(1)

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私が初めてテニスをしたのは50年ほど前。1930年に正式発足した名門「福岡テニス倶楽部」の子供教室でした。中学卒業までお世話になりました。
高校は創立100年を越すこれまた名門校「西南学院」に進学しました。といっても、私自身は名門ではありません。「福岡テニス倶楽部」「西南学院高校テニス部」では、指導していただいた方には迷惑をかけてばかりの問題児でした。テニスも下手なくせに生意気なガキだったと思います。
特に高校時代は謹慎をくらうこと2回。チームメイトや後輩に大きな迷惑をかけました。それでも、クビにならずインターハイに出場させていただき無事卒業。しかもそのおかげで大学に進学できたというとんでもない輩です。
とにかく良い高校でした。テニス部も良い先輩ばかり。いろいろあったにもかかわらず、とても楽しい3年間でした。ここまで私が曲がりなりにもマトモに生きてこられたのは、この高校テニス部での3年間があったおかげだと思っています。いや、大袈裟でなく本気でそう思います。

私は世間知らずでした。感受性も低くて、世の中における自分の立ち位置が全くわかっていませんでした。自分で自分のことがよくわかっていなかったくらいだから、周りの人には何を考えているのわからない得体の知れない奴だと思われていたに違いありません。我が道を行く生意気な奴と思われていたかもしれません。デリカシーのない言動で嫌な思いをさせてしまったこともあったでしょう。
社会人になり世の中のことが少し解ってくると、テニスでお世話になった皆様方の素晴らしさに気がつくようになりました。
テニスのおかげで、しかも名門テニス部、テニス倶楽部出身ということで、多くの方と知り合い、受け入れていただきました。
私自身が信用されたのではなく指導していただいた方、先輩や後輩が築いてきたことに対する信用のおかげです。
そんな皆さん、友人達とお付き合いをしていきたいという思いが、私がちゃんと仕事し堕落しないことへのモチベーションになっていました。

いつしか、テニスに恩返しをしたいと思うようになりました。といっても、大それたことが出来る技倆が私にはありません。結局、テニスを続けることがお世話になった方への恩返しだと思うに至りました。
還暦を迎え故郷で過ごす
ことが多くなった今、真面目にテニスを楽しみ、出来るだけ多くの人にテニスの素晴らしさを伝えていきたいと思いを新たにしています。
でも、まあ、ボチボチと。力みすぎるとロクなことないんですよ、私。

昨年から生活の多くを福岡で過ごすことになり、時間もあったので母校テニス部の歴史を調べることにしました。

調べた資料を高校の大先輩で現在テニスの練習でお世話になっている大野さんにお見せしたところ、是非なんらかの形で発表するべきだとの助言をいただきましたので、母校の歴史と調べた過程を書くことにしました。

ちょうど100年前、1920年(大正9年)に福岡で行われた「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」に出場したのが最も古いテニス部の記録です。
西南学院高校は1916年創立です。テニス部の歴史は少なくとも100年もしくはそれ以上ということになります。

ここに西南学院高校テニス部歴史の概要を記します。
尚、ここの記述は私が個人的に調べたもので、出来るだけ正確な記述を心がけたつもりですが、間違いや足らない点があると思います。すべて私個人の責任によるものです。

 

1916年(大正5年)西南学院高校(旧制中学)創立。

1917年(大正6年)「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」始まる。

1920年(大正9年)から1931年(昭和6年)まで西南学院はこの大会に出場。

1926年(大正15年)2勝したにもかかわらず、安息日のため棄権。

1928年(昭和3年)決勝進出。東筑に敗れ準優勝。

1929年(昭和4年)現在に続くインターハイの第22回大会とされる「全国中等学校(旧制)庭球選手権大会」に西南学院の選手がシングルスとダブルスに出場。

1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)の3年間、全国大会は戦争のため中止。終戦の翌年1946年(昭和21年)より再び開催され現在に至る。

1948年(昭和23年)新学制施行により西南学院高等学校となる。全国大会は同年より「全国高等学校庭球選手権大会」と改称。

1949年(昭和24年)戦後初めて西南学院の選手が全国大会のシングルスとダブルスに出場。全国大会の個人戦にはこの後、1954年(昭和29年)~1958年(昭和33年)、1961年(昭和36年)~1963年(昭和38年)、1981年(昭和56年)、1984年(昭和59年)、1985(昭和60年)、1988(昭和63年)に西南学院の選手が出場。

1958年(昭和33年)、全国大会団体戦に初出場し2回戦(ベスト8)進出。

1976年(昭和51年)、全国大会団体戦に2回目の出場を果たし3回戦(ベスト16)に進出。

1979年(昭和54年)から開催されている「全国高校選抜テニス大会」団体戦には、これまでに1979、1983、1984、1986、1987、2001年度の6回出場。

インターハイ個人戦の最高成績は、1985年(昭和60年)ダブルス準優勝の錦戸さんと徳永さん。

シングルでは1958年(昭和33年)合瀬さんのベスト8、1988年(昭和63年)古屋さんのベスト16です。

1994年(平成6年)西南学院高校は男女共学に移行しました。

最近では男子が福岡県中部地区において団体戦ベスト4以上、県大会ではベスト8以上、女子は地区ベスト8に入り県大会に出場しています。

 

参考資料

 西南学院HP

 西南学院高校テニス部HP

 九州テニス協会60年史

 福岡日日新聞(現西日本新聞)

 高校テニス100年史(全国高等学校体育連盟テニス部)


 

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