2020年3月13日 (金)

デ杯、日本の敗戦とコロナウイルスの影響 テニスイベント軒並み中止

Img_3269

2020年4月17日(金)から18日(土)に、ITC靱テニスセンター(大阪府大阪市西区)で開催が予定されていた2020年フェドカップ by BNPパリバ・プレーオフ「 日本 対 ウクライナ」は延期になりました。コロナウイルス感染拡大の影響に伴い、すべてのプレーオフおよびファイナルを延期すると本日未明に国際テニス連盟より発表がありました。代替日程は未定です。
https://www.fedcup.com/en/news/317110.aspx

本来なら、今週行われているはずの「BNPパリバ・オ―プン」(男女共催、ATP1000、WTA Pramier Mandatory、グランドスラム大会に次ぐ格付けの大会)も代替日程未定で延期されました。
その他、ITFのトーナメントも日本では、4月中旬までの大会はすべてキャンセル。中国、イタリアの大会もキャンセルされています。

先週行われたDavis Cupのプレイオフは無観客で行われました。
ボールパーソンは手袋を着用。選手用タオルは籠に入れて直接触らずに渡していました。
関係者はすべて検温。報道受付ではメディアの皆様に検温をお願いしました。
異様な雰囲気の中行われた対戦で日本はエクアドルに完敗。ファイナル出場を逸しました。

新型コロナウイルスは日本チームにとってより大きく影響したと思います。
まずは、無観客となることでホームであることの大きなアドバンテージがなくなったこと。
そして、西岡選手が出場しなかったこと。
西岡選手は、コロナウイルスの影響により、一旦帰国するとその後のアメリカツアーのために出国、またはアメリカへの入国ができない可能性があるため一時帰国してのデ杯への出場を断念しました。
出場した添田選手、内山選手、マクラクラン選手も同じ不安を持っていたと思います。特に添田選手、内山選手は全仏前のツアーの戦績次第でその後の全英、全米へと続くグランドスラムの本戦入りが微妙となるランキングです。
一方のエクアドルチームの選手のランキングはエミリオ・ゴメス選手151位、ロベルト・キロス選手は276位とグランドスラムに届かないチャレンジャーレベル。決して恵まれたテニス環境にあるとは言えない国情でのプレーオフ進出に発奮し集中できていたのだと思います。プレッシャーもなく伸び伸びプレーしていたように見えました。試合を通して常にアグレッシブにプレーしていたようです。なんでもない球をミスすることも多いけれど、肝心なところで攻めきれていました。
一方、日本の選手は攻めきれない。内山選手も添田選手もエクアドルの選手の甘い球をウイナーを狙ってミスする。丁寧に打つと甘くなって逆襲されます。
内山選手がファイナルで負けたシングルス第2試合マッチポイント。内山選手が攻めていたのに決めきれず、パスを抜かれて負けてしまったのは、そんな展開の象徴でした。

とにかく、日本チームにとっては惨敗といえる残念な敗戦でした。
そして、もっと残念なのが新型コロナウイルスの蔓延です。
一刻も早い収束を祈るばかりです。

| | コメント (0)

2020年2月24日 (月)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(4)

Img_3255
1920年(大正9年)7月26日  福岡日日新聞

『九州テニス協会60年史』に九州テニス界の詳細な歩みが書かれた部分は、署名がなくどなたが書かれたかは不明です。発行に関われた方のお名前はあります。修猷館高校OBの西村さんによると、西日本新聞社に勤務されていた方に違いないということです。すでにお亡くなりになっているとのこと。ご存命であれば西南高校テニス部についてもお話お聞きできたかもしれません。残念です。

図書館で古い新聞は、マイクロ資料として収蔵されています。
最近は何でもデジタル化されて、検索ワードを入力するとモニターに資料が現れるのが当たり前のようになっていますが、古い新聞はほとんどがデジタルデータ化されていません。
35ミリのフィルムの一コマに新聞1ページが撮影されていて、映画のフィルムのようにリールに巻かれています。モニターにセットしてコマ送りし、目当ての記事を探します。
根気のいる作業ですが、当時の広告や記事の見出しが目に入ってくるので時勢に触れることができる楽しい時間でもあります。しかし、戦争が本格的になるにつれて、紙面は嫌な記事にあふれ、ページ数も少なくなります。何てバカなことをしたのだろうと悲しくもなる作業でした。
何回か図書館に通い、新聞をモニターでめくって、福日大会の記事をプリントアウトしました。

西南学院創立の翌年に福日大会は始まっています。
西南学院は4回目からの出場です。
1926年(大正15年)には、2回勝ち進んでいるにもかかわらず、安息日のために棄権しています。西南学院の日曜日問題は旧制中学のテニス部にもあったことが確認されました。
最高成績は、1928年(昭和3年)の準優勝。名門東筑に敗れています。
この時のメンバーの中に、次の年に全国大会に出場する選手もいらしたようです。
西南学院が準優勝した翌年から、福日大会は準硬式ボールを採用します。1934年(昭和7年)からは硬球を使用しますが、その前年から西南学院の参加は確認できませんでした。
以下福日大会における西南学院の戦績の概要です。

1916(大正5年)   西南学院(旧制中学)創立 

1917(大正6年)   福日大会(福岡日日新聞主催中等学校庭球大会)開催

1918(大正7年)   校舎を西新に移転

1920(大正9年)   福日大会に初出場 豊国、佐中に敗退

1921(大正10年)高等学部(現:大学)創設

           福日大会 小倉師範、佐賀師範に敗退

1922(大正11年)福日大会 伝習館に勝利、長崎師範に敗退

1923(大正12年)福日大会 門司商業に敗退

1924(大正13年)福日大会 鞍手中に勝利、鹿島二中に敗退 全国大会準硬球採用

1925(大正14年)福日大会 島原中に敗退

1926(大正15年)福日大会 門司商業、小倉商業に勝利も鹿児島第二師範戦安息日のため棄権

1927(昭和2年) 福日大会 大分師範に敗退。この年からシングルス実施。

1928(昭和3年) 福日大会 鞍手中、小倉師範に勝利。決勝戦にて東筑に敗退

1929(昭和4年) 福日大会 若松中に勝利、長崎商業に敗退 準硬式採用

         第22回全国中等学校庭球大会にてS戸川選手、D板垣/戸川組2回戦敗退

1930(昭和5年)   福日大会 佐賀商業に敗退

1931(昭和6年) 福日大会 京城師範に敗退

1932(昭和7年) 全国大会硬式ボール採用

         この年以降西南学院の福日大会参加確認できず

1934(昭和9年)   福日大会 硬球使用大会と軟球使用大会実施        

1935(昭和10年)福日大会 硬式のみ実施 

1941(昭和16年)全国大会中止

1942(昭和17年)福日主催大会最後(西日本中等学校夏季錬成六大大会)

1943(昭和18年)全国大会中止

1944(昭和19年)全国大会中止

1945(昭和20年)終戦 全国大会中止

西南高校テニス部の歴史についてのブログはここまででいったん少しお休みします。
来週はデ杯ワールドグループ プレイ・オフ日本対エクアドル戦です。

コロナウイルスの影響で無観客試合になるかもしれませんが、私はお手伝いで会場に行きます。

 

| | コメント (0)

2020年2月21日 (金)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(3)

Img_3244

私は図書館司書の資格を持っています。
といっても、図書館司書は国家資格ではないので資格試験に合格したのではありません。
広告会社を早期退職する前後の頃に近畿大学通信教育部で所定の単位を取得しました。
その頃、娘は中学受験。妻は看護師(こちらは本物の国家資格)目指して看護学校に通っていました。私だけ何も勉強していないってのもなんだかな、と思いお勉強したのです。
退職後2年間ほど大阪の某大学図書館でお仕事させていただきました。
父の膨大な蔵書整理の役に立つかもと思ったのですが、父が亡くなると速攻で母がほぼすべての蔵書を古本屋に売っぱらってしまったので、役に立ちませんでした。


西南学院高校テニス部の歴史を調べるのに、このスキルは役に立ったと思います。
ネット検索や図書館のレファレンスを利用しました。
国会図書館のデジタルアーカイブで日本テニス協会の古い資料をあたったり、郷土資料として所蔵の九州大学庭球部100年史を読んだり。図書館のレファレンス担当の方にはお世話になりました。ありがとうございました。


探したのは戦前に福岡で開催されていた高校(旧制中学)のテニス大会の資料。
大会の名称と時期がわかれば過去の地元の新聞に当たることができます。
新聞は図書館にマイクロフィルムで保管されていて、閲覧可能。必要なところはプリントすることができます。なんのヒントもなく新聞の紙面を探すのは効率的ではありません。って、ほとんど不可能な作業です。

ずいぶん前の話ですが、福岡におけるテニスショップの草分け「サイトウテニスショップ」さんから、昭和11年頃の新聞の切り抜きを見せていただいたことがありました。テニス関連の記事をスクラップしたものです。
ある日開店の為に店にいくと、店の前に置いてあったそうです。
その切り抜きを見ると、その頃のテニスがメジャーな競技だったことがわかります。
ちょうどチルデンが来日してエキシビジョンマッチを全国で開催した年です。
来日したプロテニス選手が、大学生を指導したことがアマチュア規定違反ではないかと大問題になったようです。大学生のアマチュア規定について学生テニス連盟(学連)理事長の見解が紙面の半分程度を使って掲載されていました。学連の理事長は現役の学生です。新聞は今で言う一般紙。朝日か毎日だったと思います。現在では考えられない扱いです。
それほど、学生テニスはメジャーな競技でした。テニスだけでなく学生野球も。同じ年にプロ野球が始まったようですが、巨人と阪神の試合結果はほんの数行掲載されているだけでした。
福岡で高校のテニス大会が開催されていたならば、その詳細な内容が新聞に掲載されているという確信がありました。


九州テニス協会で資料をあたることにしました。考えてみれば、最初にここに行くべきでした。
古い資料はほとんどないと聞いていたので後回しになってしまったのです。
九州テニス協会の理事長合瀬さん、事務局長の中野さんは西南学院高校テニス部のOBです。その他多くのOBの方が様々な形で九州、福岡のテニス界を支えてくださっています。


1985年(昭和60年)に『九州テニス協会60年史』が発行されています。
18ページから22ページに記述された「福日大会」文中に、
「昭和三年、春日原コートで行われた軟球最後の大会には、六十三校、四百余名の選手が参加し、三日間の熱戦ののち、東筑中学が西南学院を破って優勝した。」
と書かれています。
これにより、戦前に福岡において開催されていた旧制中学のテニス大会の存在と、その大会に西南学院が出場していたことが明らかになりました。


大会名と開催時期が判明したので、図書館で福日(福岡日日新聞・現在の西日本新聞)のマイクロフィルムを借り出し記事を探します。1928年(昭和3年)の西南学院準優勝の記事を確認し、遡って毎年の記事を見ていき、初出場が1920年(大正9年)であったことを突き止めました。
今からちょうど100年前です。

思った通り、主催が新聞社自身であることもあり詳細な記録が掲載されていました。ほぼすべての対戦の選手名とスコア、試合経過が記載されています。
次回はこの「福日大会」について書きたいと思います。

 

文中にある「サイトウテニスショップ」さんは、福岡のテニスプレーヤーにはおなじみのテニスショップです。オーナーの斎藤さんは九州テニス界のレジェンドの一人です。残念ながら若くしてお亡くなりになりました。現在は奥様と娘さんが店を引き継いでいます。
我が家族は、父と兄弟3人ともガットを斎藤さんに張っていただいていました。お世話になりました。
西南学院高校OBの合瀬さんとのダブルスは素晴らしい名コンビだったと記憶しています。



『九州テニス協会60年史』、「ジュニア育成の歩み」の中の写真。「第3回こどもテニス教室(昭和44年8月・九電コート)」に写っているこどもの一人が、たぶん私のような気がします。初めてテニスをしたときです。いや、懐かしい。こんな発見もあるので資料探しは楽しかったです。


Img_3245

| | コメント (0)

2020年2月20日 (木)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(2)

Img_3240

大先輩の訃報に接し悲しい思いをしています。
村田隆さん。享年90歳。修猷館高校から西南学院大学。数々のタイトルをお持ちの九州の名プレヤーであり指導者でした。
私にテニスを初めて教えていただいたのが村田さんだったのではないかと思います。
訳のわからん小学生に根気強く球出ししていただきました。
まだまだお元気だと伺っていたので、そのうちご挨拶に伺おうと思っていたのですが…。
お聞きしたいことたくさんあったのに、お話聞けずに残念です。
ご冥福をお祈りいたします。

私がブログで西南高校テニス部について書こうと思ったのは、素晴らしい先輩方、テニスだけではなく社会人としても活躍されている方のことを後輩たちに知ってほしいと思ったからです。
だから、後輩、おまえらもしっかりせんか、と説教するつもりはありません。誇りを持てと強制するつもりもありません。しかし、西南学院テニス部で過ごしたことは、本人の心がけ次第ですがその後の人生に大きな良い影響を及ぼすことは確かだと思います。
前回のブログを読んでいただいた方からコメントをいただきました。共感していただける方がいることがわかり嬉しいです。ありがとうございます。

母校テニス部は盆と正月にOB会が開催されます。組織としてのOB会もしっかりしていて、毎年時期になると事務局からお知らせが送られてきます。戦後、今から70年ほど前からの名簿が整理されているそうです。
昨年のOB会で、テニス部創設の時期について話題になりました。戦前の資料が学校にも残っていないとのことでした。

テニスのインターハイ(高校総体のテニス)は、1908年(明治41年)に関西諸学校連合庭球大会として大阪の浜寺公園で始まりました。
2013年、浜寺公園北テニスコート前に全国高校テニス選手権大会発祥地記念碑が建立されました。以前ブログに書きました。
http://akikanajiro.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/index.html


同じ時期に『高校テニス100年史(全国高等学校体育連盟テニス部)』が発行されています。
高校総体テニス100年の記録がほぼすべて掲載されています。
小ちゃな自慢ですが私の名前もあります。
大学の先輩、大恩人が経営するテニスショップで見せていただいたことがありました。
そのことを思い出し国会図書館検索で調べたところ、地元堺市の図書館に所蔵されていました。

ちなみに、この資料を所蔵する図書館は、県立図書館が3館ほどで全国の市立図書館では堺市図書館だけでした。やはり、インターハイ発祥の地ということでの所蔵なのでしょう。ラッキーでした。
100年以上前の記録から遡り西南学院を探します。
老眼の私には辛い作業ですが、とても楽しかったです。
戦前にテニスのために全国から大阪に高校生(旧制中学)が集うのです。新幹線も飛行機も無い時代に。蒸気機関車で長い時間かけて行ったのでしょうね。ワクワクしながら。不安もあったかもしれない。そんなこと想像しながら。

そんな思いで記録を辿ること22年。1929年(昭和4年)8月1日~4日に大阪浜寺公園テニスコートで開催された「第22回全国中等学校庭球大会」のシングルス2回戦敗退者に戸川さん、ダブルス2回戦敗退者に板垣さんと戸川さんのお名前を見つけました。
90年前に西南学院テニス部があったことが確認されたのです。
戦前に出場された先輩が確認できたたのはこのお二人だけです。記録は完全なものでは無いのでもしかしたらまだ他にいらっしゃったかもしれません。
この後、西南学院の選手が全国大会に出場するのは戦後、学制がが変わってすぐの1949年になります。
インターハイの記録についてはまた今後書いていきたいと思っています。

西南学院高校テニス部に90年の歴史があることはほぼ確実になりましたが、学校の創立は1916年。100年以上の歴史があります。この間の14年。いつからテニス部が活動していたのか?
調べてみることにしました。

次回は、「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」の資料を発見した経緯を書きたいと思います。

1929年(昭和4年)は、私がテニスをするきっかけを作ってくれた父の生まれた年です。数年前に亡くなりましたが、生きていれば90歳だったんですね。
戦前に活躍された先輩方がご存命なら皆さん100歳を超えています。お話をお聞きできないのは残念ですが、記録を辿り皆さんのテニスに対する情熱に思いを馳せたいと思います。

Img_3241

| | コメント (0)

2020年2月18日 (火)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(1)

Dscf1308

私が初めてテニスをしたのは50年ほど前。1930年に正式発足した名門「福岡テニス倶楽部」の子供教室でした。中学卒業までお世話になりました。
高校は創立100年を越すこれまた名門校「西南学院」に進学しました。といっても、私自身は名門ではありません。「福岡テニス倶楽部」「西南学院高校テニス部」では、指導していただいた方には迷惑をかけてばかりの問題児でした。テニスも下手なくせに生意気なガキだったと思います。
特に高校時代は謹慎をくらうこと2回。チームメイトや後輩に大きな迷惑をかけました。それでも、クビにならずインターハイに出場させていただき無事卒業。しかもそのおかげで大学に進学できたというとんでもない輩です。
とにかく良い高校でした。テニス部も良い先輩ばかり。いろいろあったにもかかわらず、とても楽しい3年間でした。ここまで私が曲がりなりにもマトモに生きてこられたのは、この高校テニス部での3年間があったおかげだと思っています。いや、大袈裟でなく本気でそう思います。

私は世間知らずでした。感受性も低くて、世の中における自分の立ち位置が全くわかっていませんでした。自分で自分のことがよくわかっていなかったくらいだから、周りの人には何を考えているのわからない得体の知れない奴だと思われていたに違いありません。我が道を行く生意気な奴と思われていたかもしれません。デリカシーのない言動で嫌な思いをさせてしまったこともあったでしょう。
社会人になり世の中のことが少し解ってくると、テニスでお世話になった皆様方の素晴らしさに気がつくようになりました。
テニスのおかげで、しかも名門テニス部、テニス倶楽部出身ということで、多くの方と知り合い、受け入れていただきました。
私自身が信用されたのではなく指導していただいた方、先輩や後輩が築いてきたことに対する信用のおかげです。
そんな皆さん、友人達とお付き合いをしていきたいという思いが、私がちゃんと仕事し堕落しないことへのモチベーションになっていました。

いつしか、テニスに恩返しをしたいと思うようになりました。といっても、大それたことが出来る技倆が私にはありません。結局、テニスを続けることがお世話になった方への恩返しだと思うに至りました。
還暦を迎え故郷で過ごす
ことが多くなった今、真面目にテニスを楽しみ、出来るだけ多くの人にテニスの素晴らしさを伝えていきたいと思いを新たにしています。
でも、まあ、ボチボチと。力みすぎるとロクなことないんですよ、私。

昨年から生活の多くを福岡で過ごすことになり、時間もあったので母校テニス部の歴史を調べることにしました。

調べた資料を高校の大先輩で現在テニスの練習でお世話になっている大野さんにお見せしたところ、是非なんらかの形で発表するべきだとの助言をいただきましたので、母校の歴史と調べた過程を書くことにしました。

ちょうど100年前、1920年(大正9年)に福岡で行われた「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」に出場したのが最も古いテニス部の記録です。
西南学院高校は1916年創立です。テニス部の歴史は少なくとも100年もしくはそれ以上ということになります。

ここに西南学院高校テニス部歴史の概要を記します。
尚、ここの記述は私が個人的に調べたもので、出来るだけ正確な記述を心がけたつもりですが、間違いや足らない点があると思います。すべて私個人の責任によるものです。

 

1916年(大正5年)西南学院高校(旧制中学)創立。

1917年(大正6年)「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」始まる。

1920年(大正9年)から1931年(昭和6年)まで西南学院はこの大会に出場。

1926年(大正15年)2勝したにもかかわらず、安息日のため棄権。

1928年(昭和3年)決勝進出。東筑に敗れ準優勝。

1929年(昭和4年)現在に続くインターハイの第22回大会とされる「全国中等学校(旧制)庭球選手権大会」に西南学院の選手がシングルスとダブルスに出場。

1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)の3年間、全国大会は戦争のため中止。終戦の翌年1946年(昭和21年)より再び開催され現在に至る。

1948年(昭和23年)新学制施行により西南学院高等学校となる。全国大会は同年より「全国高等学校庭球選手権大会」と改称。

1949年(昭和24年)戦後初めて西南学院の選手が全国大会のシングルスとダブルスに出場。全国大会の個人戦にはこの後、1954年(昭和29年)~1958年(昭和33年)、1961年(昭和36年)~1963年(昭和38年)、1981年(昭和56年)、1984年(昭和59年)、1985(昭和60年)、1988(昭和63年)に西南学院の選手が出場。

1958年(昭和33年)、全国大会団体戦に初出場し2回戦(ベスト8)進出。

1976年(昭和51年)、全国大会団体戦に2回目の出場を果たし3回戦(ベスト16)に進出。

1979年(昭和54年)から開催されている「全国高校選抜テニス大会」団体戦には、これまでに1979、1983、1984、1986、1987、2001年度の6回出場。

インターハイ個人戦の最高成績は、1985年(昭和60年)ダブルス準優勝の錦戸さんと徳永さん。

シングルでは1958年(昭和33年)合瀬さんのベスト8、1988年(昭和63年)古屋さんのベスト16です。

1994年(平成6年)西南学院高校は男女共学に移行しました。

最近では男子が福岡県中部地区において団体戦ベスト4以上、県大会ではベスト8以上、女子は地区ベスト8に入り県大会に出場しています。

 

参考資料

 西南学院HP

 西南学院高校テニス部HP

 九州テニス協会60年史

 福岡日日新聞(現西日本新聞)

 高校テニス100年史(全国高等学校体育連盟テニス部)


 

| | コメント (0)

2020年2月10日 (月)

20200208_第18回大学OB対抗マスターズカップ


83916692_2541839662587091_17538811283237

私の出身地福岡の九州大学、福岡大学、西南学院大学と関東の大学出身者チームによるテニス対抗戦に参加させていただきました。
この対抗戦のことは数年前から知っていて楽しそうだと思っていました。今回お声掛けいただき念願叶って参加し、楽しい時間を過ごさせていただきました。
しかも、優勝までさせてもらって嬉しい限りです。この優勝カップはズシリと重かったです。

参加資格は50歳以上。各大学に在学したことのある人で現在テニスをプレイしている人。特に私が参加した「関東連合」は、関東の大学出身者で福岡の高校を卒業した人や現在福岡に在住している人。とても緩い参加資格の寄せ集めチームです。体育会、同好会、学生テニスを経験せず、社会人になってからテニスを始めた方もいらっしゃいました。
他のチーム含めて実業団で活躍された方、往年の名プレーヤーの方が数多く参加されていて、私などここにいていいのだろうかと思ってしまいました。
全日本ベテランで十数回優勝された方と九州選手権で何度も優勝された方とのペアと対戦させていただきました。年齢が10歳も若いとはいえ何の実績もない私たちのペアです。レジェンドがネットの向こうにいらっしゃるというだけで、私なんかビビってしまい完全に足が地についていませんでした。ところが、一生懸命とにかくボールを相手コートに返していたら、私のペアの上手さと、相手の方の不調もあり勝ってしまいました。とにかく嬉しかったです。一生の思い出になりました。ありがとうございます。
舞い上がってしまい喜びすぎたのは少し反省しています。

50年前に一緒にテニスを始めた友人たちとも久しぶりに会うことができました。皆さんとても素晴らしいテニスをします。それぞれ社会人として仕事も頑張っているようです。再会できてとても嬉しかったです。

高校テニス部の先輩、後輩。高校時代、コートを貸していただき指導もしていただいた、大学にいらした憧れの先輩方にもお会いできました。
学生や一般の大会で活躍されていた大先輩の皆さんにも親しく受け入れてくださり有り難かったです。テニスをしていて良かったと心から思います。

高校、大学と同じテニス部だった同級生も参加していました。彼はインカレ、全日本、実業団でも活躍した選手です。高校時代ペアを組んでもらったこともありました。シングルスでは高校時代に何度もゲームやらせてもらったけど一度も勝ったことがありません。現在は十分にテニスをできていないといいながら、無茶苦茶上手いです。最近一生懸命練習している私ですが、やはり彼には一生勝てそうもないですね。

| | コメント (3)

2019年6月26日 (水)

砂入り人工芝コートの功罪

伊達公子さんの論文に関する記事を読んで思った事

https://number.bunshun.jp/articles/-/839777

論文自体を読んでいないので確かな事はいえませんが、記事によると伊達さんは砂入り人工芝を「世界での活躍を阻むコートサーフェス」と確信しているようです。私も同感です。

記事の中で、日本のテニスコートで砂入り人工芝のコートは50%とありますが、私の実感としてはもっと比率は高く、いまやほぼ全てといえるかもしれません。
この問題、伊達さんはプロ目線で問題提議しているようです。しかし、世界に通用するコートサーフェイス(現実的にはハードコート)の普及には別目線での考え方も必要だと思います。

テニスを楽しむ一般プレーヤーにとって砂入り人工芝が最適なのかという視点です。
特にベテランプレーヤー、その中でも選手経験のないプレーヤーにとって、砂入り人工芝は「足腰、特に膝に優しい」と思われていると感じます。本当に、砂入り人工芝のコートが足腰に対する負担が少なく、ハードコートでは故障が起きやすいのでしょうか。この検証が必要です。

現在のハードコートは昔ほど堅くはないと思います。以前のコンクリートのように堅いコートを想像されてしまうのも敬遠される理由の一つかもしれません。呼び方を変えるべきかもしれませんね。
私が15年ほど所属していたクラブは、ジュニア育成のため砂入り人工芝コートをハードコートに変えました。その結果、一般の会員数が激減しました。退会の理由のほとんどが、「ハードコートは膝に悪いから」でした。

私は砂入り人工芝は好きではありません。
何度か足首を捻挫しましたが、全てが砂入り人工芝でのプレー時です。
プレー時に転倒する事もしばしばです。私のフットワークが悪いと言われればそれまでですが。
トーナメントを観戦していても転倒する人が多いような気がします。
砂入り人工芝上での転倒における擦過傷は治りにくですよね。
砂の厚いところと薄いところでの足の滑り方が違うことが原因だと思います。

砂入り人工芝は楽しいテニスをするのに適したコートなのでしょうか。
ラケットの機能が向上して誰もがテニスを楽しめるようになりました。
当てればボールが飛ぶので相手コートに容易に返球できます。
砂入り人工芝のコートでは、ボールのスピードや回転の勢いが殺されるのでラリーが長く続きます。ベテランの一般プレーヤーの方の多くが、この「ラリーが長く続くこと」が、上達の証と思っているのではないでしょうか。
速い球を打っても返されるし、コースを狙っても追いつかれるし、トップスピンのボールは丁度良い高さにバウンドしてしまう。
アマチュアのトーナメントでは、かっこよく質の高い球を打っている方が結局は泥臭く返球する相手に負けてしまうことが多いように思います。
結局はスライス系のバウンドしない球をどれだけ打ち続けられるかが勝負になってしまいます。
元々、日本人は華々しいプレーよりも、我慢してミスをしないで勝つことをよしとする風潮があるように思います。砂入り人工芝コートは、この風潮にもマッチしているといえます。

テニスはラケットの進化により幼い子供からお年寄りまで誰もが楽しめる生涯スポーツになりました。公営のコートも充実しました。砂入り人工芝のコートはその普及に大きな役割を果たしました。その反面、ある部分テニスの楽しさを減らしてしまっているように思います。スピンをかけたり、速い球を打つ効果が正しく反映されるコートであれば、もっと多彩なプレーが楽しめます。これは、「世界での活躍を阻むコートサーフェス」からの脱却というだけでなく、ただ、ボールをつないでいるだけで満足している一般プレーヤーがさらにテニスを楽しめることにもつながると思います。

砂入り人工芝コート普及の最大の理由は、その管理が容易なこと。少々の雨でもプレーできることだと思います。ハードコートへの転換はこれを覆すほどの利点がないと難しいと思います。
そして、現在ではテニスコートの利用者最大のボリュームゾーンである年配者の理解が必要となります。

トッププレーヤー育成のための施設で、一般にも貸出するコートが、近隣対策のために砂入り人工芝コートになったと聞いたことがあります。この問題が起こった時に正しい説明で近隣住民を説得し、理解を得てハードコートにできていればその後の展開も大き変わったかもしれません。

日本のテニスコートのハードコートへの転換には、(クレーコートでもいいのですが現実的に無理だと思っています。)現在砂入り人工芝でプレーしている一般の利用者とってのハードコートの利点を正しくわかりやすく整理することが必要です。砂入り人工芝コートに満足しているしている一般プレヤー、特にお年寄りや女性の方に日本人選手が世界で活躍するために我慢を強いると思わせては実現できません。

具体的には、
・ハードコートと砂入り人工芝コートの身体への影響の違いの検証
・ハードコートでのテニスの楽しみ方の啓蒙活動
が、必要ではないでしょうか。

関係者のかたには「わかっちゃいるけど難しいだよね」って言われそうですが…。
身体への影響についてはすでに検証されているかもしれません。あれば読んでみたいと思います。
ご存知のかたあればお知らせください。

伊達さんの論文全文を読みたいです。CiNiiでは見つかりませんでした。

コートサーフェスの理想は、施工、メンテナンスが容易で少々の雨でもプレーできて、ボールのスピードや回転を程良く伝えられるものです。日本発の世界に認められる最適のコートサーフェイスが開発されるとベストですね。

| | コメント (0)

2018年5月24日 (木)

日大アメフト部関連の記者会見を見て思うこと

日大アメフト部関連の記者会見。選手の記者会見を見て思ったことを書こうと思っていたら、いきなり監督、コーチが記者会見した。巷にあふれる論評のほぼすべてが、選手の記者会見は素晴らしく、監督、コーチのものは最低レベルであるというもの。

私も世の論評に同意。監督、コーチの会見では、発言の度に彼らが指導者として能力に欠けていると思わせるばかり。しかも、司会者の仕切りは、アメフト部だけでなく日大広報も無能であると証明してしまいました。日大には危機管理学部があるようですが、受験生にはおすすめできませんね。

思うのは、私は幸せであったということ。

50年近くテニスをしています。高校、大学では体育会に所属していました。
小学生で初めてコートに立って以来、出会い、指導していただいた方はすべて素晴らしい方ばかりでした。
選手として素晴らしい実績を持ちながら、ボランティアで。世間を知らず、生意気で、体力もなく、技術も未熟な私を見放さず相手をしてくださいました。怒られたり、感情的に何かを言われたという記憶はありません。

何よりも、私に50年間もテニスを続けさせてくれたことに感謝しています。

テニスを通じて知り合い、受け入れてくれた皆さんのおかげで、私はこれまで生きてこられました。いや、ホントに。大袈裟でなく本気でそう思っています。

今回のアメフト問題。日大指導者の最大の罪は、選手がアメフトを続けられなくなってしまったことだと思います。

ジュニアや学生スポーツの指導における最大の目標は、その競技を好きになり、一生続けられる環境を作ることだと思います。どんなスポーツでも、上手くなった方が楽しいし、勝てば嬉しい。負ければ悔しい。でも、勝者が存在するには敗者が必要です。どんな競技でも、お互いのリスペクトがなければ成り立ちません。だって、最終的な勝者はただ一人。他はすべて敗者。勝たなければ意味がないことになれば、ほとんどの人が競技をする意味がなくなってしまうじゃないですか。勝利至上主義はありえないのです。

テニスのチャンピオンスピーチは、対戦相手を称えることから始まります。そして関わった方々へ感謝します。日大指導者の一連の発言には、敬意や感謝が全く感じられません。彼らが指導するチームが学生アメフトの頂点にいるということが残念でなりません。アメフト競技全体が大きなダメージをうけた事件だと思いますが、関学他、真剣に真面目に取り組んでいるチームの皆さんには、頑張って良いプレーを見せてもらいたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月 7日 (月)

デビスカップ打ち上げ

Image

 日本チーム0-5完敗チーム№1の錦織選手、№2の添田選手を欠いていたので、最初から勝ち目がないと誰もが思っていたでしょう。チェコもベルディヒが欠場し、来日メンバ3人だけですが、すべてが日本選手よりも遥か格上の選手ばかりで、選手層の厚さは羨ましいですね。
 団体戦は会場が盛り上がります。すべての試合終了後、チーム全員が応援団とともに記念撮影しているのはとても良かったです。この雰囲気の中にいられるのは幸せですね。

 恒例のJTA広報チームの皆さんとの打ち上げ。今回は「ざんまい 本店」。なんとこの店、あのナダル選手が来店したことがあり、その時と同じ席に私たちも座ることになりました。私たちが盛り上がっていると、先に来ていたらしいチェコ選手の面々が上の階から降りてきました。外国人選手には馴染みの店かもしれません。楽しい打ち上げになりました。

 今回の試合データを見ていて気が付いたことがあります。最終日の内山選手。ファイナルセットで惜しくも勝てなかったのですが、なんと獲得ポイントの差はわずか1ポイント。テニスは獲得ポイントが少なくても勝つことがあるとはいえ、この僅か1ポイントが大きな1ポイントなのですね。大きく成長した彼がこの壁を乗りえて活躍することを期待します。

 ダニエル太郎選手のデビスカップ、そして日本でのデビューも鮮烈でした。NY生まれで、スペインを拠点にしている彼は、なかなか面白いキャラクターです。インタビューの受け答えも他の選手と違い率直で楽しく、おおいに今後が期待できます。
 
 楽しかった3日間。お世話になった皆さん、ありがとうございました。今日からは現実に戻ります。大阪に帰ってご飯作らないとね。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年4月 6日 (日)

デビスカップワールドグループQF 日本対チェコ戦 最終日

Dscf6552

試合結果

 昨日のダブルスを落とし、敗戦が決まった日本チーム。今日のシングルスは消化試合となってしまいました。双方がメンバーを入れ替えてのシングルス2試合。3セットマッチで行われました。

第1試合 日本 内山 靖崇(世界ランク277位) vs チェコ ルカシュ・ロソル(世界ランク38位)

 ファイナルセットまで縺れたとはいえ、二人の実力差ははっきりしていたと思います。第1セットはスコア以上に内山君が一方的にやられていたように感じました。すんなり終わると思い、第2セットは試合を観ていなかったのですが、内山君が頑張ったようでセットオールになりました。ファイナルセットはちゃんと観ましたよ。良いラリーもあったし、盛り上がったのですが、最後はやはりサービスゲームを落としてしまいます。
 消化試合って気持ちの持ち方が難しいですよね。ロソル選手もモチベーションを保つのに苦労していたように思いました。初日シングルスでファイナルをプレイし、昨日のダブルスに続き3日連続のプレイで疲れもあったのでしょう。早く終わらせたいですよね。第1セットは内山君も緊張していたのか、実力差通りの展開でした。たぶん、第2セットに入って内山君が開き直ったのではないでしょうか。でも、最終的に肝心なポイントが取れません。消化試合とはいえ、勝っていれば彼にとって大きな勝利になったと思うのですが、残念です。でも、彼は確実に強くなっています。特にダブルス。来季が楽しみです。

2試合 日本 ダニエル 太郎(世界ランク190位) vs イジ・ベセリー(世界ランク73位)

 太郎ちゃんの試合は見ていて楽しいです。回転のかかった良いストロークと、抜群のコートカバーリング。素人っぽい、なんとなくヒョロッとしたフォームですが早いサービスを打てます。ドロップショットも上手く、テクニシャンでもあるようです。相手のベセリーは同じ歳ですが、ランキングは遥かに上です。サービスと配球に差があるような気がします。ベセリーのサービスは速かったです。太郎君のプレイで気になったのが、チャンスボールの処理ですね。相手のいるところに打ってしまい、何度も逆襲されていました。良い球打てるのだからオープンコートに自信を持って打っていくべきだと思います。短い球の処理も、相手にコースを読まれていたようです。長いラリーで先に仕掛けてミスもしていました。気が強そうな彼の性格もあるでしょうが、経験を積めばランクアップは確実だと思います。強く打つことを含めてボールをコントロールする技術は素晴らしいと思いました。錦織に続く日本のスターが誕生することに期待します。

 完敗という残念な結果でしたが、ワールドグループの準決勝をこの日本で見られたのは夢のようなことでした。この結果も十分私にとって贅沢なものです。前回のカナダ戦も含めて、全ての試合を観戦できて、懐かしい方とも会うことができました。次は来年の2月、楽しみです。

 しかし、皆歳とっちゃいましたね。私も含めて。まあ、仕方ないか。
 スタッフの皆さんの後片付けを待って、打ち上げに行きます。これもまた楽しみです。
 明日は大阪に帰って、そろそろ仕事のこと考えないとね。

Dscf6535

Dscf6544

| | コメント (0) | トラックバック (0)