2015年1月19日 (月)

NAHAマラソンと辺野古、普天間⑥ 打ち上げ

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打上げです。毎回これが楽しみでマラソンに参加しています。
打上げ会場は「ジャックポット 那覇小禄」でした。
生ガキは兵庫産と福岡産。美味であります。なんで、沖縄に来てまで牡蠣なの?と思うでしょうが、いつもお世話になっているSさんのお店です。以前は首里で素敵なイタリアンレストラン(辺野古のとは違って本物の)をやっていらしたのですが、数年前に閉店。この店はNAHAマラソンの2か月ほど前に開店したそうです。
前日は沖縄らしい店「旬鮮食堂りーさん堂」に案内していただきました。

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打上げのメンバーは8人。
地元のSさんは、私の元同僚であるKさんの大学体育会の先輩。このお二人は今回出走せず。Kさんは抽選に外れて走れなかったのですが、1か月ほど前に骨折したのにかかわらず、私たちが走っている間、ダイビングのツアーに参加していました。
他に女性が5人。東京からお二人、北陸からのお二人と私の元同僚です。皆さん完走しました。元同僚以外はこのマラソンで知り合った方です。
NAHAマラソンに参加するようになったきっかけは、当時担当していたクライアントの方からとても楽しいと聞いていたところに、Kさんから誘われたから。そしたら、Kさんの所属していた体育会の当時の監督さんがそのクライアントの方で、その元部下の方で私もお世話になっていた方も参加されていたり、説明するのが面倒臭いいろんな繋がりが判明しました。走るのは辛いけど、沿道の応援と打上げ参加メンバーに会えるのが楽しくて、何回も参加することになりました。

打上げ中に、沖縄の過去についての話になりました。
沖縄返還は1972年。私は中学生でした。それまでは、私たちが沖縄に行くにはパスポートが必要でした。その少し前までは1$=360円の固定相場制だったし、海外旅行に行く人は多くなかったので、パスポートを取得すること自体が特別なことだったように思います。
この、パスポートが必要だったことを、打上げ参加の女性陣は皆さん知りませんでした。「そんなの信じられない」という驚いた様子でした。その知らなかったが私にとってちょっとショックでした。世代間ギャップと言ってしまえばそれまでなんですが、日本が戦争に負けて沖縄がアメリカの施政権下にあったことは日本人としての常識でなければいけないのではないかと思います。思えば、私が知っているのは、その時代に生きていたから。学校の授業で習った覚えはありません。私の娘はパスポートの件は知っていましたが、授業ではまだ習ってないそうです。沖縄がアメリカの施政権下にあったことは授業で教えるかもしれませんが、そのことが実際にどういうことであったかを想像するのは難しいかもしれません。そしてそこに住む人たちがどんな思いをしていたかも。沖縄で戦後も方言札が使われていたのは、その思いの一端だったのでしょう。

今回は那覇市内のホテルを予約できず、読谷に泊まりました。1時間ほどの道中ほとんど左右どちらかが基地です。泊まったホテルは米陸軍基地「トリイ通信施設」の真正面でした。沖縄では米軍基地を意識しないで過ごすことはできません。米軍の基地についての是非は簡単に結論が出せるものではないと思います。しかし、「辺野古に新しい基地を作るのか」という問題は目の前にあります。沖縄県知事選挙では、建設反対派の知事が当選しました。にもかかわらず、現政権は建設を進めようとしています。民主党も建設容認派が党首になってしまいました。地元は反対しているのに、中央の政権が推進しようとしている構図は明確になりました。アメリカが無理に造ろうとしているのではありません。日本のある勢力だけが造りたいと思っているのです。

私はこの世の中からすべての軍事基地が無くなれば良いと思っているので、普天間基地は返還してもらい、辺野古に新しい基地を作る必要もないと思っています。日本に米軍の基地が必要だと思っている人は、それが沖縄、そして辺野古である必要があるのかを考えてください。自身の地元に基地を作ることを、そしてそれが自然を破壊する行為だということを想像してください。どうしても基地が必要だと思うのなら、あなたの地元に基地を誘致することを考えて欲しいと思います。

なんか、楽しかったことを書くつもりが違ってしまいましたね。
未だ私は堪能出来ていませんが、沖縄は素晴らしいリゾート地だと思います。しかし、米軍基地があるために心から楽しむことはできないし、その資産も活用しきれていないと思います。

今回のNAHAマラソンは今までとは全く違った経験になりました。初めて完走できなかったことが一番ですが、辺野古や普天間に行けたこと、出会いや発見、再会がありました。途中リタイアの悔しさ以上に、楽しく満足できる旅行でした。
最後になりましたが、毎回お世話になっている那覇在住のSさんには心から感謝いたします。走られないのに付き合ってくれて、いろいろ手配してくれるKさん、ありがとうございます。打ち上げに参加の皆さん、その他今回出会ったすべての方にお礼を言いたいと思います。

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2015年1月10日 (土)

NAHAマラソンと辺野古、普天間⑤ 元同僚との再会編

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NAHAマラソンは5回目の参加です。過去4回はすべてマラソンを走っただけ。マラソンコース以外に行ったのは、食事、打ち上げの場所と国際通り、首里城だけ。今回は長めに滞在して、那覇以外にも行きたいと思っていました。しかし、無職とはいえ色々あって、結局金曜日午後入りして、日曜日の午前中に帰ってくる34日の日程になりました。
飛行機は神戸空港発着。ANAとソラシドエアのコードシェア便。機材はソラシドエアでした。この航空会社は初めてです。

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ソラシドエアは宮崎が本社。地元密着型の会社のようです。CAさんは皆さん私好み。大手のCAさんのようにお高く留まっていない感じが気持ち良かったです。(大手のCAさんがお高く留まっているというのは完全に私の先入観です。つまり皆さん垢ぬけているということです。)イケメン男性のCAさんもいました。

レンタカーを借りて向かったのは、「Yoshida’s Kitchen」。元同僚が私より一足先に早期退職して、オープンしたカフェです。彼とは机を並べたことはないのですが、彼は本社で、私は支社で同じ販売促進の部署にいました。二人とも今回会って話をするまで忘れていましたが、前職では会ったことはないものの、同じ外資系大手食品メーカーに出向していたこともあり、私は親しみを感じていたのかもしれません。彼が会社を辞めて那覇にカフェをオープンしたことは全く知りませんでした。同じく私より先に退職した先輩が、このカフェを訪れたことをフェイスブックにアップしているのを見て、知ることになりました。
このカフェは沖縄大学の前にあり、ここの学生さんや地元の方に来ていただく地元密着の店のようです。手打ちの生パスタ、挽きたてのコーヒーと手作りのデザートがメニューに並んでいます。

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私は「アボガドとエビのパスタ」、デザートはティラミスとコーヒーをいただきました。どれも美味しかったです。ご馳走様でした。

彼にとって那覇は所縁のなかった土地だそうです。よそ者がやる客商売ですからその苦労は想像できます。完全に一人で店を回しているので、シンドイとは思いますが頑張って欲しいと思います。

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この日の泊りは市内のビジネスホテルでした。チェックイン後にコンビニに行こうと思い外出したのですが、コンビニとは逆の方向に曲がったらしく、そのおかげで見つけたのが「スーパーいろいろ」。

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地元密着型のコンビニというか小さなスーパーです。しっかり私のような余所者のこころくすぐる品揃えです。泡盛が充実していて試飲もできるそうです。残念ながら私は完全な下戸なので、「ちんすこう」の試食をさせてもらいます。お勧めの「ちんすこう」はこれまで食べたなかで一番美味しかったかもしれません。何ということない普通の味なんですけど。

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「とろ生マンゴープリン」は、この手のデザートとしては絶品でした。残念ながらこれは在庫がなく、「ちんすこう」とともに他のマンゴープリンをお土産にします。自宅へのお土産に地元のレトルト惣菜を購入。那覇到着後数時間でお土産すべて買ってしまいました。
このお店、沖縄らしい顔のお兄さんは数年前にお母さんから引き継いだ2代目だそうです。立派な身体つきですが、以前はトライアスロンをしていてNAHAマラソンもなかなかのタイムで完走していたのですが、この店を引き継いで忙しかったせいで20㎏も太ってしまったそうです。今では全く走れなくなったと言いながら、今回のNAHAマラソンは30回記念ということもありエントリーしているそうです。お互いの健闘を誓いホテルに戻りました。この店、いつも待ち時間がある那覇では人気の「ジャッキーズ ステーキハウス」のすぐ傍です。次回はここのステーキも食べてみたいです。

スーパーいろいろ」には、マラソンの後、「りっかりっか湯」でひとっ風呂浴びた後、打ち上げの前に再び訪れました。この店のことをフェイスブックにアップしたら、それを見た尊敬すべき前職場の先輩から泡盛のリクエストがあったからです。店のお兄さんはNAHAマラソンでは最後尾を走り、十数キロのところで時間切れ、オフィシャルの車に回収されたそうです。お互い残念でした。

元同僚と共に泡盛とお土産を買って打ち上げの会場に向かいました。







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2014年12月20日 (土)

NAHAマラソンと辺野古、普天間④ 普天間編

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辺野古の町を後にして普天間に向かいます。基地を見られる高台があるようです。何とかなるだろうと全く行き当たりばったりでついたのがゲートの真ん前にある公園。展望台があったので登ってみたんですが、基地側は木が茂っていて全く見えません。いったい何を見るための展望台なのでしょう。意味不明でした。で、「普天間基地が見られるところ」でググると、「数高台公園」はすぐに見つかりましたが、駐車場までの道が判りにくく、レンタカーのナビがあまり賢くなかったので、辿り着くのに苦労しました。

展望台から普天間基地が一望できます。駐機しているオスプレイも見られます。軍用機は土日離発着することはあまりないそうで、この日の普天間は静かでした。聞いていた通り、基地は民家や学校などに囲まれています。成程、世界一危険な空港と言われているのが理解できます。伊丹や福岡の空港も住宅地の中にありますが、滑走路のアプローチ部分は空き地になっています。この普天間にはそれが全く無く、アプローチ部分にも民家が建っています。

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普天基地より左手に見える展望台からの風景。

この基地が出来た頃には、周辺はこんなに民家はなかった。後から住みついて、基地に危険だから出て行けというのは住民のエゴではないかという意見もあります。確かに、基地が出来当初の写真を見ると、基地周辺に民家は少なかったようです。でも、この基地は何も無かったところに建設したのではなく、戦前は農地や民家だったところに建設されました。そのため、沖縄の他の基地がほとんど国有地なのに対し、普天間は民有地で地権者に賃料を払っています。沖縄経済の中心である那覇からも近く通勤圏内であり、沖縄全体の地理的条件からしても人が暮らすのに適した地域です。メディアで報道される基地の写真だけ見ていると判りませんが、嘉数高台公園の展望台から見ると、基地の反対側には那覇の町が見え、基地の左手には民家やホテル等の向こうにきれいな海が広がっています。基地が返還によって経済的効果が大いに見込まれる場所だと思います。実際にこの場所に来て、単に展望台からの景色を見ただけでも色々と気が付くことがありました。マスコミの報道だけでは沖縄のかかえる問題を理解することはできません。ネット上に溢れる多くの情報でも実感できません。日本人全てがこの場所を訪れるべきかもしれません。

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嘉数高台公園は、修学旅行生が多く訪れる場所になっています。この場所には大戦時の日本軍のトーチカが残っています。アメリカが沖縄に上陸した際の激戦地のひとつです。日本の戦闘員だけでなく、住民の半数以上が亡くなり、攻めるアメリカ軍にも多くの犠牲者が出たそうです。先の戦争の悲惨さと、現在の基地の状況を見知ることが出来る場所です。公園の前では「普天間基地ちんすこう」を売っていました。修学旅行生はサンプルを食べるだけでほとんど買ってくれないと店のおじさんは言っていました。将来、普天間基地だけでなく、すべての基地が無くなり、その戦争に関する跡を見て、人間はなんて馬鹿で残酷で無意味なことをしたのだろうと、訪れる人が戦争を過去のものとして、その時の平和を幸せに思える場所になって欲しいと思います。

沖縄に基地があること、そして普天間基地が返還されるにために代替の基地が必要だと思っている人のほとんどが、沖縄の米軍が、戦争が出来ない日本のために日本を守ってくれているのだから仕方ない、または当然であると考えていると思います。
本当に沖縄の米軍は日本を守ってくれるのでしょうか。
沖縄に駐留する米軍のほとんどが「海兵隊」です。海兵隊は戦時において戦地に上陸するための軍隊です。攻められたときに守るための軍隊ではありません。つまり、日本が攻められたときに出動するのではないので、防衛という観点から言えば、「抑止力」の機能しかありません。現在の世界的状況からみて、敵地に上陸し作戦を遂行するための軍隊を持つことが戦争の抑止力になるとは私は思いません。却って相手にこちらを攻める理由を与えてしまうだけにしかならないと思います。

戦争は憎しみ以外何も生み出しません。戦力を保持することはある意味、人類にとって膨大な無駄遣いです。どの国も財政的に大きな負担となっています。アメリカも確実に軍縮の方向に向かっていると思います。普天間基地を返還して貰い、新たな基地を作らないというのは実現可能だと思います。基地建設に使う予算を、それ以外に使った方が経済的にも効果的だと思います。

いろいろ考えさせられましたが、そろそろ那覇空港に友人を迎えに行き、明日のマラソンのゼッケンを貰わなければいけない時間になってしまいました。

沖縄観光チャンネルの嘉数高台公園ページ
展望台からの風景やトーチカなどの写真はこちらでご覧ください。
http://www.odnsym.com/spot/kakazu.html

「普天間基地@米軍飛行場がある暮らし」
宜野湾市民の目線ではっきりわかり易くまとめられているサイトです。
http://www.futenma.info/





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2014年12月19日 (金)

NAHAマラソンと辺野古、普天間③ 辺野古の町編

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辺野古の浜を後にして坂を上がり町へ行ってみました。メインストリートと思われる通りにあるスーパーでタバコを買って、店の前でタバコを吸っていた地元のおじさんと世間話。

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辺野古は随分前に賑やかだったこともあるけど、今はとても静かです。このおじさんは、賑やかな町よりも静かでのんびりしている方が好きで、残っている自然も後の世代に残したいと思っているそうです。壊してしまうと、当たり前の風景を誰もが忘れてしまうから。スーパーの目の前にある「イタリアンレストラン」のことを聞いてみると、
「ここしかないからなー。」
とのこと。1軒しかない地元の店の悪口は言えませんよね。

沖縄返還前、このおじさんの通う学校では方言が禁止されていて、方言をしゃべってしまうと罰として、「方言札」を首からさげさせられていたそうです。戦前は日本全国で「方言撲滅運動」なるものがあったらしいのですが、沖縄では戦後もそれが続いていたようです。

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しばらく店の前にレンタカーを駐車させていただき、通りを一回りしました。昔は賑わっていたかもしれませんが、今では米兵相手だと思われるバーやレストランは閉店しているようです。

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昼食はイタリアンレストランでとることにしました。
この店は店名が「イタリアンレストラン」でイタリア料理専門店と言う意味でのイタリアンレストランではありませんでした。外見から小さな店だと思ったのですが、テーブル席、座敷、カウンター席もある広い店です。メニューはカレー、チャプスイ、タコスや定食等バラエティ豊かで、壁際の棚にはコミック本が並び、店の雰囲気は完全に町の大衆食堂です。肝心のピザはメニューに黒マジックでバッテンしてあります。何を注文するのか迷います。定食はABCとあり、地元の人はCランチを注文することが多く、BCは値段が高くなるとともに量が多くなるそうです。中身は揚げ物が中心。さんざん悩んだ挙句に「ニューヨークステーキ」を食べることにしました。

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「ニューヨークステーキ」はボリュームたっぷり。柔らか過ぎず、適度な歯ごたえのあるアメリカンなステーキでとても美味しかったです。スープ、サラダ、ライスが付いていて1,000円はとてもリーズナブル。思いがけず私好みの良い店に出会えました。

翌日、那覇でレストランのオーナーをしている方にお聞きしたところ、この店は知る人ぞ知る名店だったようです。辺野古は映画「」のロケ地で、ロケ中スタッフはここで食事していたそうです。オーナーは映画公開後、随分経ってから映画スタッフにこの店に再び案内するよう頼まれて行ったそうです。そういえば崔監督の好きそうな店ですね。特にタコスが絶品とのこと。しまった、タコス食べるべきだった。

この店、黒木メイサさんの実家近くで、彼女はここの常連だそうです。いつもCランチを注文するようです。「辺野古」「イタリアンレストラン」で検索するとレポートがいくつもあがってきます。私と同様にこの店で嬉しい体験をした方は多いみたいですね。でも、タコスについてはほとんど書いてありません。もう一度行ってタコス食べます!

お腹いっぱいになったところで普天間に向かいます。

沖縄県名護市辺野古区ホームページ
http://www.henoko.uchina.jp/index.html






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2014年12月16日 (火)

NAHAマラソンと辺野古、普天間② 辺野古の浜編

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126日土曜日。午後大阪から来る元同僚を空港でピックアップしてゼッケン引き換え。それまでの時間を使って辺野古に行き、普天間基地を見てきました。

辺野古の浜は穏やかでした。小さな港に数艘の小さな船が舫われています。そこから続く砂浜。しかし、そこにはフェンスがあり入ることができません。フェンスの向こうは米軍の基地です。フェンスには浜を埋め立てて作る基地反対の幕が張られています。このフェンスがなければ、何の変哲もないノンビリした浜辺です。
私がそこにいた間、数台のバスが到着し、若い人たちが船に乗り込んででていきました。大学生達が基地建設予定地を視察にきていたようです。

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警告の看板

港には基地建設反対派のテントがありました。先に来ていた神奈川の厚木基地近くにお住まいだという老夫婦と一緒にテントにいらっしゃった方の説明を聞きました。その内容は私がこれまでにネットなどで知っていたもの以上のものではありませんでしたが、現場を前に聞くと実感できます。その説明は、基地の必要性について理路整然と反論しているように思います。単にジュゴンを守るために反対しているのではないようです、とてつもなく大きな工事で、この場所の風景が一変してしまうのは間違いありません。この浜を埋め立てるなんてもったいない、と思いました。

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フェンスの内側
見えている浜のほぼすべてが埋めたて予定地のようです。


<基地建設反対派のHP>
ヘリ基地反対協議会
http://www.mco.ne.jp/~herikiti/sit-in.html

辺野古を訪れた日の前日、先の沖縄県知事選挙で落選し、任期が僅か4日になった仲井間知事が、辺野古埋め立てに関する申請について数件の認可をしました。沖縄の新聞は電子版で号外をだし、ローカルニュースはトップでこの件について報道していました。
知事選は、基地建設の賛否が問われるものであったのは確実です。県民の基地建設反対の民意が、正当な手段によって示されたのです。仲井間前知事の行動は政治のシステムを無視した暴挙だと思います。

辺野古を埋め立てて新たに基地を作ることについての賛否を問われれば、私は反対します。元々私はこの地球上から戦争が無くなれば良いと思っています。現在ある紛争、そして基地をすぐに無くすのは不可能ですが、少しずつでも減らしていくべきだと思います。今ある自然を破壊してまで新たに基地を作るのはとてももったいないと思うのです。沖縄に住んでいる人や、住んだことのある知人に聞いたところ、辺野古の海は漁業的資源に恵まれている訳ではなく、地形や風景についても沖縄にとっては特に良い場所とはいえないそうです。
それでも、私のこの気持ちを覆すだけの合理的理由が、基地を作ろうとしている人々の主張には見当たらないのです。


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長い間動かした気配のない船。

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浜からの風景。当初計画では、この水平線あたりに高さ10mの滑走路が作られる予定だった。


辺野古の町にも行きました。その様子は次回書きたいと思います。

「スナフキンの軌跡の果てに」
<沖縄>
ちょっと古い記事ですが、辺野古、普天間を訪れて沖縄の基地について書かれたブログです。私が書いたものよりも、こちらを読んだほうが参考になると思います。書かれている内容とほぼ同じ思いを私も持てたような気がします。レポートから10年近く経っていますが、現状はほぼ変わっていないと思います。

http://www.geocities.jp/dole2563/okinawa.html


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2014年7月19日 (土)

卒業旅行③ 海洋堂ホビー館四万十

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20131111日(月)
 妻と娘を学校に送り出して8時頃大阪を出発。
 目的地は海洋堂ホビー館四万十
 阪神高速、明石海峡大橋、淡路島を抜けて徳島道、高知道。
 高知道の終点、四万十中央で降りて、窪川を左に曲がり、すぐに四万十川を渡って、左側に川を眺めながらのドライブです。たまに現れる沈下橋、自然と人間の営みが調和した心地よい風景です。ホッとした気持ちになり、ゆっくりと車を走らせます。このままずっと走っていたいと思わせるような道です。
 四万十川がこんなに海に近いところ流れていることに、初めて気が付きました。地図で確認すると、四万十川の源流の海からそう遠くないところにあり、しばらく海に沿って流れ、内陸に入ってから下るようです。
 JR予土線打井川駅あたりで四万十川を渡り、山の中に入りしばらく走ると、廃校になった小学校を利用した海洋堂ホビー館四万十に到着です。海洋堂は世界的に有名なホビーメーカーで本社は大阪門真市にあります。このミュージアムは海洋堂と四万十町が協力して開館したようです。
 海洋堂ホビー館四万十は自らが「へんぴなミュージアム」と称しています。この場所は海洋堂創始者で前社長である「館長」、今の社長の父上の故郷だそうです。本当に辺鄙な場所にこの施設を作ったのは、館長の故郷に錦を飾るという思いとともに、展示や施設の内容に自信があるからではないかと思います。フィギュアに大した興味のない私でもその内容に圧倒されます。
 フィギュアにあまり興味のない私がここを訪ねたのは、海洋堂さんに仕事をしていただいたことがあるからです。飲料メーカーのノベルティとして、深海生物のフィギュアを作っていただきました。1シリーズ10種類ほどのフィギュアを合計1000万個程、新しく発売された高知室戸の海洋深層水を利用した清涼飲料水の首に掛けました。深海生物はちょっとグロテスクで、しかも海洋堂さん製作だけあって、とてもリアルです。こんな気持ち悪いものを口に入れるものに付けて大丈夫だろうかと心配したのですが、あっという間に完売。第2弾も好評で飲料の販売に大いに貢献しました。私の30年間のサラリーマン生活において代表的な仕事の一つです。その深海生物たちの展示を確認することが今回私がここを訪問した目的です。

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 深海生物のフィギュアは無事に確認できました。自分が関わった仕事がこうして展示され、キャンペーンが終了した後も人の目に触れ、残っていくのは嬉しいですね。広告会社の仕事は、形が残っていくものが多くないので、こんな仕事ができた私は幸せだと思います。
 少しの間ですが、海洋堂さんとお付き合いできたのは、私にとって貴重な体験でした。このミュージアムの館長である宮脇修さんは海洋堂創業者。私がお会いした時は社長でしたが、「館長」と呼ばれていました。頂いた館長が描いた絵本は、娘の絵本の本棚ではなく、私の本棚に排列されています。

 現場を仕切っていたのは館長の息子さんで現社長である修一さんでした。当時は専務でした。社長になった今でも「せんむ」と呼ばれています。この「せんむ」が凄い方なんですよ。
 海洋堂が主催するオタクの祭典「ワンダーフェスティバル」に、深海生物フィギュアの展示ブースを出展するよう依頼されました。とにかく「カッコイイ」のを創れと。とにかく、仕事にはすべて「カッコ良さ」と「こだわり」が求められます。というか、当然のことのようです。かなりビビったのですが、ブースは優秀なプロダクションさんに丸投げしてカッコイイのが出来ました。せんむにもお褒めいただきました。ホッ…。
 この「ワンダーフェスティバル」では、せんむ曰く「オタクの心意気」に圧倒されました。ガレージキットの製作者、コレクター、コスプレプレイヤー等の情熱は開場時のスタートダッシュに象徴されます。映像の早送りをリアルに見ているようでした。また、守られている秩序にも感心しました。開場前に隣の駅まで並んだ来場者の整理は自主的に行われていたようだし、コスプレの撮影もちゃんと並び時間を守って行われていました。ガレージキットやフィギュアの緻密さ、芸術性とともに、お行儀の良さが日本の「オタク」文化の誇れるところで、それ故に世界中の人に認められているのではないかと思いました。。

 そんなこと思い出しながら一通り展示を見て回りました。時間に余裕があればもっといたかったのですが、砂浜美術館の村上理事長との約束があったので、ミュージアムを後にします。山越えの道。ナビは道の狭さや険しさまでは教えてくれません。対向車が来たら離合に困ったかもしれませんが、一台も車とすれ違うこともなく無事入野の浜にたどり着きました。普通だったら通らない山道。これも貴重な体験。ちょっと怖かったけど、気持ちの良いドライブでした。とはいえ、もし次回があれば打井川まで戻って四万十川沿いをドライブしたいです。

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2014年7月12日 (土)

卒業旅行② プロローグ 鎧塚さんのトークショー

2013117日(木)
 卒業旅行の前に伊賀上野まで小ドライブしました。目的は島ヶ原で行われるイベント「おーきに!実の秋フェスタ」
 イベントのちらし→「minorinoakifesta.pdf」をダウンロード

 数年前に仕事でお世話になったプロデューサーの志村さんがトークショーのインタビュアーをするというので勝手に見せてもらうことにしたのです。
 まずは上野城へ。天守閣からの眺望は楽しめましたが、忍者ショーは時間がなく見送り。駐車場前で数人の忍者とすれ違ったのですが、私の理解できない外国の言葉らしきもので喋っていました。忍者の符丁かな。
 島ヶ原は大阪からだと、関西本線JR伊賀上野駅の一つ手前の駅。今回のイベントは伊賀・島ヶ原おかみさんの会の主催。地元の女性が地域おこしに頑張っています。今回のイベントの内容は食事と物販とトークショーだったのですが、一週間前に予約しようと思ったら満員。田舎のイベントだと甘く見ていました。
 以前仕事でお世話になった志村さんは、「美し国おこし・三重」地域担当プロデューサーです。私と仕事をしていただいた当時は東京に事務所があり、三重との二重生活をしていましたが、現在は完全に三重に根を張っているようです。その志村さん、忍者の装束で登場しました。今回はいきなり来たので、またの機会にゆっくり話を聞かせて欲しいとご挨拶しましたが、未だにお伺いできていません。そろそろ行かなくては…。


 トークショー会場は100人以上の人で満員。私は予約をしていなかったので最後列の席。すぐ後ろや脇には地元のおかみさんたちが立っています。鎧塚さんの話に熱心に頷き、心から共感、理解している様に胸を打たれました。
 ゲストである有名パティシエの鎧塚さんは、私と同窓の川島なおみさんのご主人です。テレビにもよく登場していたので、ちょっと軽めの人だと思っていたのですが、全くそんなことなく、頭が良く真面目で熱い信念を持つ方でした。この島ヶ原のおかみさん達が開発したパウンドケーキが、鎧塚さんのプロデュースでパワーアップし、「忍半蔵」として渋谷ヒカリエの「Yoroizuka Farm Tokyo」で販売されるそうです。(後日食べてみました。美味しかったです。)このトークショーはその記念に開催されたものです。随分時間が経ってしまったので、話の内容全ては思い出せないのですが、私にしては珍しくメモを取っていたので、思い出して書いてみます。
 お菓子作りの原材料は地方の農家から供給されます。鎧塚さんは出来るだけ産地に足を運んでいます。そこで聞かされるのは第一次産業である農家の人手、後継者不足。都会では就職難が問題になっているのに、それはおかしいと思ったそうです。行政からの補助金などで、地方の農産加工の機械や施設には、鎧塚さんも羨むような立派なものが多いそうですが、それらを十分に活かせている所は少ないようです。鎧塚さんはパティシエで有名になった自分に何かできないか考え、地方で頑張っている人と商品を掘り起し、自分がプロデュースし商品力を強化し、ヒカリエの自らの店舗で販売することにしました。
 鎧塚さんのもとに持ち込まれる素材は品質の良いものばかりです。蜜柑だったら、皮が薄くて甘いもの。しかし、鎧塚さんは蜜柑の甘い酸っぱい、皮の厚さは、それぞれの長所短所ではなく、個性だというのです。厚い皮はマーマレードに適しているし、酸味がないとケーキの中で素材らしさがでないし。売れないと思うものをお金に換えられないのが農家の弱点で、お金に換えるのがパティシエの腕なんだそうです。
 本当に美味しい果実はそのまま食べるのが一番美味しいですよね。なるほど、果物の個性を生かし、もっと美味しくケーキとして食べる。成程、菓子作りの神髄ですね。
 メディアに対する考え方も、露出することで、有名になったり、売り上げが増えたりするのは一時的であることが判っていて、その効果や結果について過信はしないが、利用できるものは効果的に利用する。地についた考え方を持っているようです。
 彼の話を聞いていると、地元のおかみさん同様にウンウン頷いてしまいます。その辺りは、著作『職人力! トシ・ヨロイヅカのパティシエ哲学』に詳しいそうですので、興味のある方は是非ご購読を。鎧塚さんには失礼ですが、思いがけず有意義な時間を過ごすことが出来ました。この後の卒業旅行にも大きな影響と刺激を与えてもらいました。

 帰途は163号線。木津川沿いの道はとてもきれいで、気持ち良いドライブでした。日本の風景ってホント素敵です。

 この4日後、四国に向け出発します。

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2014年7月11日 (金)

卒業旅行① こんな行程でした。

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昨年の11月末。勤めていた会社を辞めました。退職前の有給消化を利用して旅に出ました。まずは四国です。その後は九州へ。出来るだけ気の向くままに。
テーマは「自分探し」と娘に言ったら、「何やねん、それ!」って、思いっきり侮蔑の眼差しで笑われました。
 32年間、都会でのサラリーマン生活。後のことを決めないままの退職。自分はどう暮らすべきなのか、どう暮らせるのか。何ができるのか。こんな機会でもないとなかなか会いに行けない田舎に住む人に会い、今後の人生の参考とするための旅としました。この旅でいろいろ判ったことがあります。自分が今後どんな考え方で生きていくのかはある程度明確になりましたが、具体的に何をして暮らしていけばいいのかは、退職して半年以上経った今でもまだ決めることができていません。

【行程】
2013
1111日(月)
 大阪発
 四万十町 海洋堂ホビー館四万十 
 私のお仕事のひとつ、深海生物フィギュアの展示を見る。
 黒潮町 仕事で知り合ったNPO法人砂浜美術館 理事長 村上健太郎さんと夕食。
 ネストウエストガーデン土佐
2013
1112日(火)
 道の駅 ビオスおおがたでお土産購入。隣接する砂浜美術館事務所に挨拶。
 足摺岬へ。途中、足摺巨石群
 海沿いをドライブ。土佐清水、宿毛を通り宇和島から高速道路。
 今治で後輩と落ち合い、彼の自宅のある大三島へ。 
  そのまま後輩宅泊
20131113日(水)
 大三島で大山祇神社参拝。誰も行かない展望台。伯方の塩大三島工場見学。
 ロングドライブ。道のすぐ下は瀬戸内海。
 佐多岬で豊後水道越し九州に沈む夕日を眺める。
  八幡浜のビジネスホテル ニューホテルトヨ泊
20131114日(木)
 八幡浜からフェリーで臼杵へ。
 原尻の滝から竹田の岡城跡
 高千穂 高千穂神社
  五ヶ瀬温泉 木地屋
20131115日(金)
 国見ヶ丘 天岩戸神社
 薩摩川内市 FMさつませんだい上栫局長と夕食
  スーパーホテル 薩摩川内泊
20131116日(土)
 薩摩川内から国道3号線、八代から九州自動車道。
 実家近くで弟とテニス。
  福岡の実家泊
20131117日(日)
 日田天ケ瀬 うつわ工房 へ。
  実家泊
20131118日(月)
 親父の病院付き添い。
 北九州八幡 友人と夕食。
  そのまま友人宅泊
20131119日(火)
 北九州小倉 ナカノテツ小倉本店へ。 社長である友人と昼食。
 国道9号線で島根県浜田市へ。 
 島根県立大学院生である中国人の友人と夕食。
 浜田ステーションホテル
20131120日(水)
浜田から浜田道、中国道。
 帰宅

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2014年7月 1日 (火)

陸前高田で料理教室⑤ 南三陸から仙台

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南三陸志津川から仙台には、沿岸の鉄道で行きたいと思いました。通常南三陸から仙台に出るには、気仙沼線で前谷地、そのまま石巻線に入り、少し内陸にある小牛田で東北本線に乗り換えるのが合理的だと思いますが、できるだけ沿岸を通り、震災後の状況を見たかったのです。

震災前であれば、気仙沼線で志津川~前谷地、石巻線に乗り換え、石巻まで行って、仙石線でそのまま仙台、と2回の乗り換えで可能でした。
しかし、現在は気仙沼線も仙石線も一部区間震災の被害から復旧できていません。志津川から柳津まではBRTと呼ばれるバス。柳津から前谷地まで気仙沼線。前谷地から石巻までは石巻線。石巻から仙石線ですが、矢本から松島海岸までは代行バスです。

旅程

12:23 志津川発 BRT(気仙沼線)
12:52 柳津着
13:25 柳津発 気仙沼線
13:46 前谷地着
13:51 前谷地発 石巻線
14:11 石巻着
14:16 石巻発 仙石線
14:29 矢本着
14:35 矢本発 代行バス
15:17 松島海岸着
15:32 松島海岸発 仙石線
16:09 仙台着
16:30 仙台発 仙台空港アクセスライン
16:47 仙台空港着


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12:23
 志津川駅からBRTのバスに乗ります。BRTとはBus Rapid Transit (バス高速輸送システム)のことで、本来は都市交通において専用道やレーンなどを用いた大量輸送システムのことらしいです。気仙沼線のBRTは大量でも高速でもなく、ほぼ単なる代行バスです。代行バスというと、将来的には鉄道として復活させることが前提となりますが、JRはその気はなさそうで、一部従来の線路をバス専用道に整備し、バス輸送路線としたためにBRTと呼んでいるようです。

 JRサイト
 

 志津川駅(あくまでもバス停ではなく駅)は、元の駅より奥まったところ、南三陸さんさん商店街の前にあります。プラットフォーム風の乗り場、切符売り場、待合室と駅の機能が整っています。

 南三陸さんさん商店街は、旧市街地の一番奥あたりに位置する場所で、この辺りでは唯一の商業施設のようです。仮設の店舗が並び、地元の人向けの施設であり、訪問客向けのでもあります。
 さあ、出発です。

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高野会館

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専用道からの車窓風景

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ホテル観洋で私が泊まった部屋が専用道のトンネルに入る直前に見えます。

バスは派手な塗装と内装ですが、所謂都市を走る乗り合いバスです。良く揺れるし、この運転手さん、運転があまり上手くないのか、停車時にガクガクします。
 防災庁舎、旧志津川駅、高野会館を見ながら、橋を渡ると専用道路に入ります。
 専用道路は全線55.3㎞のうち22.7㎞あるのですが、私の乗車した志津川と柳津の間は、ここから次の陸前戸倉の間3㎞程だけです。

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柳津の駅前には何もありませんでした。

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私の乗った列車の次は3時間後です。

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気仙沼方面へ線路は伸びていますが、列車はここ柳津まで。

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列車には錆が浮いていました。

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柳津を出てこの川を渡ると、前谷地駅までは長閑な風景が車窓に広がります。
この川の下流が大川小学校のあったところのようです。

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列車は石巻線へ入り小牛田まで行きますが、私は反対の石巻方面へ乗り換えます。
この列車で石巻に行って、仙石線に乗り換えます。

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矢本駅で代行バスに乗り換えます。
大型のリムジンバス。乗り心地良いです。

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仙石線野蒜駅 5月末にファミリーマートが開店したそうです。
去年来たときは、違うコンビニが被災したまま残されていました。
でも、ここを列車が通ることはなさそうです。新仙石線は内陸に場所を移して建設されています。

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中央の建物がカンポの宿。まだ残っていましたが、完全に破壊されているのでそのうち取り壊されると思います。その向こうは津波の被害を感じさせないきれいな海岸です。

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松島に近いところの、復旧というより新線の建設。

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松島海岸駅。隣の高樹町まで列車は行くけど、代行バスはここで連絡。

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仙台駅で乗り換え。仙台空港まではすぐです。

仙台空港に17:00前に到着しました。
19:00発の飛行機だったので、空港でゆっくりしようと思っていましたが、霧が出てきていてキャンセルになるかもしれないということで、一つ早い便に乗ることができました。

お世話になった皆様ありがとうございました。

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2014年6月30日 (月)

陸前高田で料理教室④ 気仙沼から南三陸

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ホテル観洋 ロビーからの眺め

 
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 和尚の寺を後にして45号線を気仙沼経由南三陸へ向かいます。
 津波到達点を示す看板に何度も出会うけど、ほとんどが「えっ、こんなところまで」と思う場所です。人の住んでいそうなところはほとんどが到達点より下です。
 気仙沼でも南三陸でも旧市街地は沼のようになっていて、盛土の工事が行われています。

 南三陸ではホテル観洋に泊まりました。震災時、いち早く地元の人々のために手を打ったホテルです。特に子どもの教育についての施策は素晴らしいと思います。
 
 陸前高田に同行させていただいた女性3人はここで温泉を使い、仙台に向けて出発。お疲れ様でした。
 ホテルのロビーは素晴らしい景色。大きな虹にも歓迎してもらいました。そのロビーでうみねこに見つめられながら、明日の計画を。沿岸をBRT、鉄道、代行バスで仙台まで行く予定です。これがなかなか簡単ではないのです。アプリでは、ほぼ検索できないルートのようです。
 ホテルの泊まり客は多かったのですが、食事の時間に温泉に行ったので、絶景をほぼ独り占めできました。近代的設備で、広いし、清潔だし、もちろん絶景。極上の温泉です。
 翌日は、ホテルスタッフの方が街(のあったところ)を案内してくれる「語り部バス」に乗車。津波で街が破壊されたのはともかく、多くの人が亡くなったのは、誰もが、あんなに大きな津波が来襲するとは思っていなかったからのようです。高野会館の屋上ではギリギリ助かったけど、防災庁舎では数名が助かっただけです。防災庁舎って言うくらいだから安全だと思いますよね。実際海からの距離と建物の高さをから屋上を超える津波は想像できません。JR気仙沼線の街中部分はほぼ完全に破壊され、志津川の駅も跡形なく、高架橋がまるで門のモニュメントのように無残な姿で残ります。周囲は池か沼のようで、草も茂り、そこが住宅密集地だったとは全く想像できません。ここでも盛土が行われていましたが、そこに人が住める訳ではないようです。
 僅か1時間の防災庁舎以外は車窓から見るだけのツアーでした。小さな街で、本当に何もかもが無くなっているので、「見る」という意味では十分でした。震災時、その後の様子はホテルロビーのモニターでの3D映像やパネルで見ることが出来ます。
 語り部ツアーの後は志津川観光船でのんびりクルージング。乗客は私と老夫婦と保育園の子ども達。ウミネコと戯れる1時間。餌は「カッパえびせん」でした。船は津波で流されましたが、最近やっと復活したそうです。
 クルージングからホテルに戻ってすぐにBRTの志津川駅へ、ホテルの車で送ってもらいました。ホテルの方もハードスケジュールだと笑ってましたが…。これから仙台への道のりは次回。



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復興屋台村気仙沼横町 漁丸でハーモニカ(カジキマグロのひれ部分)定食 ボリュームたっぷりでお腹いっぱい。奥はフカヒレうに雑炊。

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気仙沼市内。まだ残る瓦礫。

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気仙沼市内。

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ホテル観洋ロビーに展示されている震災の記録

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図書コーナー
宿泊客用でなく地元の子ども達の為に設置されたようです。

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部屋からの眺め。これで眺望最悪だそうです。津波で破壊された街が見えるのでその意味では最悪ですが。

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語り部ツアー、車窓から。この水門を大きく超えてきた津浪。

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高野会館。ここの屋上で300人が助かった。海まで僅か200メートル程。

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高さ10mの盛土。

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防災庁舎。海からの距離を考えるとここを飲み込む高さの津波は想像できない。

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気仙沼線志津川駅があったところ。

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JR高架橋の残骸。池のように見えるけどこの辺は元々住宅密集地だったそうです。

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ナイスキャッチ!餌はカッパえびせん

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ホテル観洋

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手乗りうみねこ?

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見えている島あたりは津波の前に波が引いて徒歩で渡れる程だったらしい。

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地肌が見えているのは津波の跡







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