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2020年2月18日 (火)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(1)

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私が初めてテニスをしたのは50年ほど前。1930年に正式発足した名門「福岡テニス倶楽部」の子供教室でした。中学卒業までお世話になりました。
高校は創立100年を越すこれまた名門校「西南学院」に進学しました。といっても、私自身は名門ではありません。「福岡テニス倶楽部」「西南学院高校テニス部」では、指導していただいた方には迷惑をかけてばかりの問題児でした。テニスも下手なくせに生意気なガキだったと思います。
特に高校時代は謹慎をくらうこと2回。チームメイトや後輩に大きな迷惑をかけました。それでも、クビにならずインターハイに出場させていただき無事卒業。しかもそのおかげで大学に進学できたというとんでもない輩です。
とにかく良い高校でした。テニス部も良い先輩ばかり。いろいろあったにもかかわらず、とても楽しい3年間でした。ここまで私が曲がりなりにもマトモに生きてこられたのは、この高校テニス部での3年間があったおかげだと思っています。いや、大袈裟でなく本気でそう思います。

私は世間知らずでした。感受性も低くて、世の中における自分の立ち位置が全くわかっていませんでした。自分で自分のことがよくわかっていなかったくらいだから、周りの人には何を考えているのわからない得体の知れない奴だと思われていたに違いありません。我が道を行く生意気な奴と思われていたかもしれません。デリカシーのない言動で嫌な思いをさせてしまったこともあったでしょう。
社会人になり世の中のことが少し解ってくると、テニスでお世話になった皆様方の素晴らしさに気がつくようになりました。
テニスのおかげで、しかも名門テニス部、テニス倶楽部出身ということで、多くの方と知り合い、受け入れていただきました。
私自身が信用されたのではなく指導していただいた方、先輩や後輩が築いてきたことに対する信用のおかげです。
そんな皆さん、友人達とお付き合いをしていきたいという思いが、私がちゃんと仕事し堕落しないことへのモチベーションになっていました。

いつしか、テニスに恩返しをしたいと思うようになりました。といっても、大それたことが出来る技倆が私にはありません。結局、テニスを続けることがお世話になった方への恩返しだと思うに至りました。
還暦を迎え故郷で過ごす
ことが多くなった今、真面目にテニスを楽しみ、出来るだけ多くの人にテニスの素晴らしさを伝えていきたいと思いを新たにしています。
でも、まあ、ボチボチと。力みすぎるとロクなことないんですよ、私。

昨年から生活の多くを福岡で過ごすことになり、時間もあったので母校テニス部の歴史を調べることにしました。

調べた資料を高校の大先輩で現在テニスの練習でお世話になっている大野さんにお見せしたところ、是非なんらかの形で発表するべきだとの助言をいただきましたので、母校の歴史と調べた過程を書くことにしました。

ちょうど100年前、1920年(大正9年)に福岡で行われた「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」に出場したのが最も古いテニス部の記録です。
西南学院高校は1916年創立です。テニス部の歴史は少なくとも100年もしくはそれ以上ということになります。

ここに西南学院高校テニス部歴史の概要を記します。
尚、ここの記述は私が個人的に調べたもので、出来るだけ正確な記述を心がけたつもりですが、間違いや足らない点があると思います。すべて私個人の責任によるものです。

 

1916年(大正5年)西南学院高校(旧制中学)創立。

1917年(大正6年)「福岡日日新聞(現在の西日本新聞)主催中等学校庭球大会」始まる。

1920年(大正9年)から1931年(昭和6年)まで西南学院はこの大会に出場。

1926年(大正15年)2勝したにもかかわらず、安息日のため棄権。

1928年(昭和3年)決勝進出。東筑に敗れ準優勝。

1929年(昭和4年)現在に続くインターハイの第22回大会とされる「全国中等学校(旧制)庭球選手権大会」に西南学院の選手がシングルスとダブルスに出場。

1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)の3年間、全国大会は戦争のため中止。終戦の翌年1946年(昭和21年)より再び開催され現在に至る。

1948年(昭和23年)新学制施行により西南学院高等学校となる。全国大会は同年より「全国高等学校庭球選手権大会」と改称。

1949年(昭和24年)戦後初めて西南学院の選手が全国大会のシングルスとダブルスに出場。全国大会の個人戦にはこの後、1954年(昭和29年)~1958年(昭和33年)、1961年(昭和36年)~1963年(昭和38年)、1981年(昭和56年)、1984年(昭和59年)、1985(昭和60年)、1988(昭和63年)に西南学院の選手が出場。

1958年(昭和33年)、全国大会団体戦に初出場し2回戦(ベスト8)進出。

1976年(昭和51年)、全国大会団体戦に2回目の出場を果たし3回戦(ベスト16)に進出。

1979年(昭和54年)から開催されている「全国高校選抜テニス大会」団体戦には、これまでに1979、1983、1984、1986、1987、2001年度の6回出場。

インターハイ個人戦の最高成績は、1985年(昭和60年)ダブルス準優勝の錦戸さんと徳永さん。

シングルでは1958年(昭和33年)合瀬さんのベスト8、1988年(昭和63年)古屋さんのベスト16です。

1994年(平成6年)西南学院高校は男女共学に移行しました。

最近では男子が福岡県中部地区において団体戦ベスト4以上、県大会ではベスト8以上、女子は地区ベスト8に入り県大会に出場しています。

 

参考資料

 西南学院HP

 西南学院高校テニス部HP

 九州テニス協会60年史

 福岡日日新聞(現西日本新聞)

 高校テニス100年史(全国高等学校体育連盟テニス部)


 

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