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2020年2月21日 (金)

自分史と母校西南学院高校テニス部の歴史(3)

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私は図書館司書の資格を持っています。
といっても、図書館司書は国家資格ではないので資格試験に合格したのではありません。
広告会社を早期退職する前後の頃に近畿大学通信教育部で所定の単位を取得しました。
その頃、娘は中学受験。妻は看護師(こちらは本物の国家資格)目指して看護学校に通っていました。私だけ何も勉強していないってのもなんだかな、と思いお勉強したのです。
退職後2年間ほど大阪の某大学図書館でお仕事させていただきました。
父の膨大な蔵書整理の役に立つかもと思ったのですが、父が亡くなると速攻で母がほぼすべての蔵書を古本屋に売っぱらってしまったので、役に立ちませんでした。


西南学院高校テニス部の歴史を調べるのに、このスキルは役に立ったと思います。
ネット検索や図書館のレファレンスを利用しました。
国会図書館のデジタルアーカイブで日本テニス協会の古い資料をあたったり、郷土資料として所蔵の九州大学庭球部100年史を読んだり。図書館のレファレンス担当の方にはお世話になりました。ありがとうございました。


探したのは戦前に福岡で開催されていた高校(旧制中学)のテニス大会の資料。
大会の名称と時期がわかれば過去の地元の新聞に当たることができます。
新聞は図書館にマイクロフィルムで保管されていて、閲覧可能。必要なところはプリントすることができます。なんのヒントもなく新聞の紙面を探すのは効率的ではありません。って、ほとんど不可能な作業です。

ずいぶん前の話ですが、福岡におけるテニスショップの草分け「サイトウテニスショップ」さんから、昭和11年頃の新聞の切り抜きを見せていただいたことがありました。テニス関連の記事をスクラップしたものです。
ある日開店の為に店にいくと、店の前に置いてあったそうです。
その切り抜きを見ると、その頃のテニスがメジャーな競技だったことがわかります。
ちょうどチルデンが来日してエキシビジョンマッチを全国で開催した年です。
来日したプロテニス選手が、大学生を指導したことがアマチュア規定違反ではないかと大問題になったようです。大学生のアマチュア規定について学生テニス連盟(学連)理事長の見解が紙面の半分程度を使って掲載されていました。学連の理事長は現役の学生です。新聞は今で言う一般紙。朝日か毎日だったと思います。現在では考えられない扱いです。
それほど、学生テニスはメジャーな競技でした。テニスだけでなく学生野球も。同じ年にプロ野球が始まったようですが、巨人と阪神の試合結果はほんの数行掲載されているだけでした。
福岡で高校のテニス大会が開催されていたならば、その詳細な内容が新聞に掲載されているという確信がありました。


九州テニス協会で資料をあたることにしました。考えてみれば、最初にここに行くべきでした。
古い資料はほとんどないと聞いていたので後回しになってしまったのです。
九州テニス協会の理事長合瀬さん、事務局長の中野さんは西南学院高校テニス部のOBです。その他多くのOBの方が様々な形で九州、福岡のテニス界を支えてくださっています。


1985年(昭和60年)に『九州テニス協会60年史』が発行されています。
18ページから22ページに記述された「福日大会」文中に、
「昭和三年、春日原コートで行われた軟球最後の大会には、六十三校、四百余名の選手が参加し、三日間の熱戦ののち、東筑中学が西南学院を破って優勝した。」
と書かれています。
これにより、戦前に福岡において開催されていた旧制中学のテニス大会の存在と、その大会に西南学院が出場していたことが明らかになりました。


大会名と開催時期が判明したので、図書館で福日(福岡日日新聞・現在の西日本新聞)のマイクロフィルムを借り出し記事を探します。1928年(昭和3年)の西南学院準優勝の記事を確認し、遡って毎年の記事を見ていき、初出場が1920年(大正9年)であったことを突き止めました。
今からちょうど100年前です。

思った通り、主催が新聞社自身であることもあり詳細な記録が掲載されていました。ほぼすべての対戦の選手名とスコア、試合経過が記載されています。
次回はこの「福日大会」について書きたいと思います。

 

文中にある「サイトウテニスショップ」さんは、福岡のテニスプレーヤーにはおなじみのテニスショップです。オーナーの斎藤さんは九州テニス界のレジェンドの一人です。残念ながら若くしてお亡くなりになりました。現在は奥様と娘さんが店を引き継いでいます。
我が家族は、父と兄弟3人ともガットを斎藤さんに張っていただいていました。お世話になりました。
西南学院高校OBの合瀬さんとのダブルスは素晴らしい名コンビだったと記憶しています。



『九州テニス協会60年史』、「ジュニア育成の歩み」の中の写真。「第3回こどもテニス教室(昭和44年8月・九電コート)」に写っているこどもの一人が、たぶん私のような気がします。初めてテニスをしたときです。いや、懐かしい。こんな発見もあるので資料探しは楽しかったです。


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