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2019年12月31日 (火)

2019 今年を振り返って

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紅白歌合戦が始まりました。今年の年末は親子三人、大阪で過ごしています。年始も大阪で迎えます。
例年のごとく今年も福岡の実家で過ごすつもりだったのですが、妻が体調を崩してしまいました。私自身は、今年春から福岡の実家で過ごすことが多くなりました。テニス三昧の生活をしています。体重が随分減りました。
毎月のようにテニスの試合に出ましたが、シングルスは1勝しかできませんでした。勝つのは本当に難しいです。テニスで
勝つことを楽しみに出場している方ばかりですから。
来年は2勝が目標です。

こんな生活を許してくれている妻と娘に感謝です。

今年読んだ本は27冊。ほとんどがポケミスの新刊。若干のミステリ、いただいた本、後輩が書いた本も。読んだ本が少なすぎてベストがどうとか言えないけど、最後に読んだ『熊の皮』は良かったです。今年のポケミスは私好みが多かったような気がします。
来年は少しでも多く本を読みたいです。

還暦を迎えた今年、私生活については幸せでした。
来年もよろしくお願いいたします。


政治の話が嫌い、または苦手な方はこの先読まないでください。

幸せだった私にもストレスがない訳ではありません。
世の中、日本の状況が酷すぎます。
極め付けは「桜を見る会」。
予算以上の支出をしていたにもかかわらず、予算を増額しないで数年も続いていたというだけでアウトだと思います。それが、予算増は首相や与党議員の招待枠が大幅に増えたこと、しかもそれが選挙区の後援会関係者であったこと。開門前に特別に入場できて記念撮影ができたと。税金を私用した悪質な公職選挙法違反であります。一流ホテルでの前夜祭は、その内容から公職選挙法、政治資金規正法違反、または贈収賄にあたる可能性もあると思います。
この問題、与党側が会の参加者名簿、前夜祭の明細書さえ出せば数日で決着がつきます。それをしないで長引いているのは完全に与党、官僚側の責任です。全くの税金の無駄遣い。
こんなくだらないことで貴重な時間とお金を使ってほしくないと思います。公明正大は政治の基本です。それをないがしろにしている限り重要な案件を審理することはできないと思います。現政権については何もかも、一切信用できません。
子供達に閣僚や官僚の答弁、態度、資料の破棄など、それを擁護する説明が全くできないのはとても悲しいことです。

来年は良い年になって欲しいです。これ以上正直で真面目な人が割りを食う世の中にはなってほしくないです。現在起きている不条理は、よりよい世界になるための膿で一気に噴き出して綺麗になろうとしていると前向きに考えて年を越したいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

こんな私にお付き合いいただいた皆様に感謝します。
よい年をお迎えください。

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2019年12月29日 (日)

高校生学年別テニス大会

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高校生の試合を見てきました。

『第68回冬季九州・山口 高校生学年別・小中学生テニス大会』

我が母校の後輩。高校2年生の部男子シングルス準優勝、ベスト4、ベスト8。その他の後輩達も実力を出し切っていました。楽しく観戦させてもらいました。
この大会、高体連やジュニアの試合に出られないとか、なかなか勝てないとかいう選手達に試合を経験してもらうための大会だそうです。強豪校の選手は参加していないようでした。
この大会が始まったのは、私が高校を卒業した後。30年ほど前。我が母校のテニス部顧問のM先生が始められたそうです。
そのM先生、私が高校生の時に講師として赴任され、卒業後にテニス部の顧問となりました。
私の在学中の顧問のF先生は、前にも少し書きましたが、練習は一度も見に来たことがなく、試合もインターハイに付いてきただけという、今では考えられない名前だけの顧問でした。それでも私の大好きだった先生の中の一人です。
次のM先生は高体連のことまでやっていただけるという熱心な方。教職を退任された現在も今大会のトーナメントディレクターを務めておられます。今回会場で久しぶりにお会いできました。
M先生に高校テニスの歴史に興味があるとお話ししたところ、在任中の母校の記録をいただきました。また、現在の高体連テニス部担当の先生をご紹介いただき県の高体連の記録を見せていただけるよう手配していただきました。

そこで判明した残念なこと。
県の高体連テニスの過去の記録で見ることができるのは、昭和57年以降ということ。私が高校を卒業して5年後。M先生が顧問に就任された時期です。電話で聞いていただいた限りでは、それ以前の記録は整理されていないということです。つまり、私の高校時代の輝かしい?戦績は確認できないと。これは残念です。
昭和57年という時期を考えてみると、母校のある県の強豪が全国大会の長年にわたる連覇が途絶えた頃です。この時期までは、その強豪校が県大会の全てを仕切っていたのだと思います。県大会団体戦では敵なしでした。個人戦も上位を独占していました。このことが記録が整理されていないことと関係があるとすればとても残念です。
記録により過去を振り返るのはとても楽しいです。思わね発見もあります。

以前、ブログで東京の古川先生について少し触れたことがあります。全ての記録をしっかり管理されていました。また、関西のS先生は長年にわたり高体連での仕事をされて、退任された現在でもジュニアの試合運営に携わっておられます。
東京の古川先生は、ご自身もプレーヤーとして活躍された方ですが、関西のS先生、そして我が母校のM先生は、ご自身プレーヤーとしての活動はほとんどないと聞いています。そんな先生方が地域のテニスのお世話をしていただいたことに頭が下がる思いです。全国にそんな方がいらっしゃってテニスを支えていただいていることに感謝します。

我が母校テニス部は長年の歴史があり、素晴らしい活躍をされた方が数多くいます。その伝統を絶やさぬよう頑張れとか誇りを持てとか現役選手に強制するつもりはありません。でも、3年間を母校テニス部でプレーしたことは間違いなくその後の人生の糧となると思います。テニス関係だけでなく一般社会でも、高校時代テニスをしていたことで信用されます。私なんて、それだけで生きてこられたようなものだと思っています。
支えていただいた皆さんのご苦労を理解し、感謝すること。そして今後もテニスを続けていくことが少しでも恩返しとなるのではないかと考えています。

記録を残すっていうのは大切なんです。
それを簡単に破棄するなんていう現政権は…。
なんか、言いたいことが多すぎて支離滅裂になるのでこの辺で。

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2019年12月22日 (日)

19026.熊の皮

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『熊の皮』 マクラフリン

実家の近所に観音山という低い山があります。通っていた小学校からよく見えていました。校庭から先はずっと田んぼでしたから。今はすっかり開発され住宅地になってしまい見通せなくなってしまいました。麓まで自転車で行って、数十分で登れるから丁度良い散歩コースです。一瞬ですが、本格的登山の気分も味わえます。
観音山の隣は石割山。登山道は整備されています。地元の観光マップにも紹介されていますが、近年の台風被害と開発の失敗で、石割山から先は随分荒れています。
最近何度か登りました。夏の終わりに蛇と遭遇しました。イノシシも出没します。猿もいるようです。気持ち良く歩けるのですが、蛇は怖いです。イノシシに至近距離で出会ったらどうしようかと思います。猿に襲われたらなすすべがありません。自然に囲まれた暮らしは憧れですが、順応できる自信はありません。虫に刺されるも嫌だし。

『熊の皮』は、自然保護管理の仕事をするワケあり主人公ライスのお話です。
ある日ライスは胆嚢を摘出され、手を切り取られた熊の死骸を発見します。胆嚢と手は高値で売れるのです。密猟者をなんとかしたいのですが、地元民は非協力的です。麻薬を取引しているマフィヤやそれを取り締まる麻薬取締局も絡んできます。

アパラチア山脈の大自然の描写が見事です。じっくり読んでしまいます。自然の雄大さ、美しさ、澄んだ空気。憧れる部分だけでなく、蛇は怖いとか、いっぱい虫に刺されるとか、現実的なところもキチッと書き込まれています。気持ちよさと悪さ。まるでそこにいるような気分になります。
ライスはその自然に同化します。その一方で、ソーラーパネルとか撮影や防犯用のセンサーとか、現代的なガジェットも使いこなします。

人間や動物の描き方も素晴らしい。犬、猫、熊。素朴な地元民、ギャング、司法関係者。嫌な奴と愛すべき存在。
ミステリですから、残虐なシーンもあります。レイプ、殺人、暴力。最近歳をとったのか、残虐なシーンがリアルすぎると読むのが辛いのですが、この作品では大丈夫でした。自然の美しさと厳しさ、古さと新しさ、善と悪、信頼と裏切り、憎しみと愛情。全ての要素のバランスが良いのです。クライマックスと結末も私好みで、読了後はしばし心地よい時間を過ごせました。

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2019年12月16日 (月)

庭球語り部 インターハイの始まるまで+続編

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『「庭球語り部」インターハイの始まるまで+続編』 戸堂博之

私が20年以上暮らす堺市。テニスのインターハイ(高校総体)発祥の地だそうです。高校(旧制中学)におけるスポーツ競技の全国大会はテニスが最初だったそうなので、インターハイそのものの発祥の地ともいえるかもしれません。
1908年(明治41年)に関西諸学校連合庭球大会が浜寺公園で始まりました。その後全国大会に発展していきます。浜寺公園は堺市と高石市に跨っています。戦前に大きなスタンド付きのテニスコートがあったそうです。
戦後インターハイは、この近くの中百舌鳥のテニスコートで開催されていました。高校テニスの歴史そのものが堺と高石にあります。
堺市と高石市は現在もテニスが盛んです。堺市テニス協会主催の大会は年に数回開催され、中でも秋に行われる「堺市オープン」は2ヶ月にも渡って試合が行われます。私もベテランのシングルスに挑戦していますが、まだ一度も勝てたことがありません。レベルが高いんですよ。

旧制中学の大会が始まった元々のきっかけは、堺中学(現在の三国ケ丘高校)の生徒の呼びかけだったと聞いた記憶があります。そのテニスに対する情熱と面倒見の良さ、行動力が今も引き継がれているのだと思います。

戸堂さんは、その三国ケ丘高校出身。インターハイ団体優勝など素晴らしい成績を収めた方で、高石市庭球連盟の名誉会長でいらっしゃいます。
2013年、浜寺公園北テニスコート前に全国高校テニス選手権大会発祥地記念碑が建立されました。それを機に集まったテニス黎明期の資料をまとめたのがこの冊子です。
戸堂さんのテニス愛を感じながらワクワクしながら拝読しました。
非売品なので他の人に「買って読んで」と言えないのが残念です。


読んでいて気がついたのですが、昭和初期、日本のテニスが世界的レベルにあったその時期の
名選手である佐藤次郎さんと清水善造さん。群馬県の出身だったんですね。群馬県は私の母の故郷。母によると祖父もテニスをしていたそうです。カップやトロフィーののようなものが家にはあったとか。もしかしたら私の祖父も佐藤さん、清水さんとプレーをしたことがあるかもしれない。なんて楽しい想像をしてしまいます。

この冊子を見せていただいたのは、福岡の伝統校修猷館OBで戸堂さんと同年代の方です。九州、福岡のテニス協会の役員を長らく努めていらっしゃいます。
西村さん、ありがとうございました。


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2019年12月 4日 (水)

庭球 ALWAYS 東京都テニス協会60周年記念誌

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東京都テニス協会60周年事業で発行された記念誌ですが、他の記念誌とは体裁や内容が違います。重々しい体裁の記念誌が多い中で、これは雑誌のような書籍のようなMOOK本の雰囲気です。

テニスに関わった方のインタビューを中心に構成されています。
トッププレイヤーやトーナメントなどのイベントの結果だけでなく、密着ドキュメント「審判委員 ~ロングマッチの12時間を追う~」など、裏方の皆さんに光を当てているのが嬉しいです。
「東京『庭球』人物伝」では、プレイヤーとして活躍された方に並んで、高体連の古川先生が紹介されています。個人的にはこれがなにより感動しました。
古川先生は1959年から約30年間、高体連テニスの運営に携わっていました。
私の高校時代。試合の組み合わせ(ドロー)は、現在ほど公明正大に作られていなかったと思います。パソコンもないし、トーメントの数も少なかったし。選手の実力は主観による判断の部分が多かった。そして、地区や県のトーナメント幹事の先生がシードと組み合わせを決めていました。ある年、幹事の先生がいる高校との練習試合で負けた選手ときっちり県大会出場を決める試合で当たりました。なんとか勝ったけど。
我が高校のナンバーワンは、高校在学中ずっと県大会のインターハイ出場がかかった試合では、幹事の先生がいる強豪校の一番苦手とする選手が対戦相手でした。
ドロー作成を始めとして、試合の運営は大変です。それを引き受ける幹事の先生がいる高校にそれなりのメリットがあっても良いとは思いますが、あまりにもあからさまだったりしました。

県大会団体戦の決勝戦。その年は県から2校が全国大会に行けたので、決勝進出した我が校は全国大会出場決定。そしたら大会幹事、対戦高校の先生が、
「決勝戦は1セットでいいか。一応記録が必要だし、10分くらいで終わるだろう」

しかも、通常ダブルス、シングルナンバー1、シングルナンバー2の順番で試合してたのに、ダブルスとシングルナンバー2を一緒に入れて、ナンバー1の試合は無し。勝てる可能性が唯一ある対戦だったのに…。仰る通り、すぐに終わって試合進行に協力しましたよ。残念ながら。
そんな大人の世界に理不尽さとモヤモヤ感を持っていました。

大学に進学し、学連で裏方をするなか、古川先生とご一緒させて頂くこともありました。羨ましいと思いました。こんな先生がいる東京が。
選手のことを考え公平なドローを作り、きちんと記録を残す。これは何よりもテニスをする生徒達には嬉しいことではないでしょうか。気がついていない人も多いかもしれませんが…。
私の高校の顧問の先生も同じ苗字だったのですが、練習に顔だしたことなく、試合見に来たのはインターハイのみ。しかもテニスシューズ持ってなくてコートに入れず。好きな先生だったけど…。と、これはまた別のお話。


巻頭は最近お亡くなりになった緒方貞子さん。テニスがお好きだったことはなんとなく知っていたけれど、そののめり込み方と素晴らしい実績のことは存じ上げませんでした。
登場するのは選手として実績を残されただけでなく、テニス界のために尽力された方。そのほとんどが、私が学生時代に実際にお目にかかり、お世話になった方です。懐かしさとともに、私が社会人としてなんとか人の道を踏み外さないで生きてこられたのは皆さんのおかげだと感謝の念を新たにしました。

編集はK島さん。前々回のブログに書いた「国境なき助産師」さんのお父様。ブログ前回の『テニスプロはつらいよ』の井山さんもお手伝いされているようです。
そのご苦労はご本人が書かれている編集後記に凝縮されています。
ありがとうございました。

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