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2012年1月10日 (火)

廣瀬大社・龍田大社そして龍田神社

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長い間感じていた違和感が「あかい奈良」を読んで解決。
随分前の話ですが、父と風神・水神の神社を参詣しましたが、実はそのつもりになっていただけでした。水の神は廣瀬大社、(私たちは廣瀬神社だと思っていました。)風の神は龍田神社。廣瀬大社は真っ直ぐな広い参道で、両脇は深い樹木に覆われ、昼なお暗い霊気を感じさせるところでした。本殿は修理中でしたが、その立派さと歴史、由緒正しさを感じさせてもらいました。
風の神は探すのに手間取りましたが、結局国道25号線沿いにある、「龍田神社」がそうではないかということで、参詣しました。ところが、神社の由縁に「風神」に関することが書かれていなかったし、廣瀬大社に比べて、その雰囲気があまりにも違うことで、なんとなく、それが本当に「風の神」の神社だったのか、気になっていました。まあ、調べればすぐにわかることだったのですが。
「あかい奈良」の最新号を読んで、私たちが間違っていたことが判明しました。風神が祀られているのは「龍田大社」だったのです。ネットで検索したら、「大社」と「神社」はその名の通り、本来なら勘違いなんてしようのない社格の違いです。
龍田神社は奈良県生駒郡斑鳩町龍田に、龍田大社は同じく三郷町立野南にあります。両社の距離は4.5㎞、歩いて1時間、車だと15分ほどの距離です。
どちらも法隆寺に近いというので、法隆寺に行ったついでに、親父が突然行こうと言い出したのです。当時はインターネットなんて一般的じゃなかったので、神社の名前は父親の記憶頼り、場所はアナログの地図で探しました。今だったら、iPhoneでサクサク検索して間違えることもないでしょうね。それにしても随分前といっても、10年ほど前のことです。世の中大きく変わってます。
早速、父親にこの話をして、「あかい奈良」を送ろうと思います。できれば、父親を風神「龍田大社」に連れて行きたいのですが、父親もいつのまにか82歳。まだまだ元気とはいうものの、福岡から奈良にくるのはちょっと辛いかも。

龍田大社出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この項目では、奈良県生駒郡三郷町にある神社について記述しています。奈良県生駒郡斑鳩町にある神社については「龍田神社」をご覧ください。

龍田大社
所在地 奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1
位置 北緯34度35分35秒
東経135度41分15秒
主祭神 天御柱命
国御柱命
社格等 式内社(名神大)・二十二社・官幣大社・別表神社
創建 崇神天皇の治世
本殿の様式 春日造
例祭 4月3日(滝祭り)
拝殿龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町にある神社である。風の神(風神)として古くから信仰を集める。

祭神 [編集]天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)を祭神とし、龍田の風神と総称され、広瀬の水神と並び称された。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。

歴史 [編集]『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。正史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。『延喜式』では名神大社に列し、二十二社の一社とされた。近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に龍田神社として官幣大社に列した。

紅葉の名所としても有名である。摂社・龍田比古龍田比売神社の祭神である龍田姫は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきた。

龍田神社(たつたじんじゃ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある神社である。式内社で、旧社格は県社。

歴史 [編集]崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。

明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の龍田大社の摂社となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。

廣瀬大社出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廣瀬大社

拝殿
所在地 奈良県北葛城郡河合町大字川合99
位置 北緯34度35分30秒
東経135度44分54秒
主祭神 若宇加能売命
社格等 式内社(名神大)・二十二社(中七社)・官幣大社・別表神社
創建 崇神天皇9年(紀元前89年)
本殿の様式 春日造
札所等 神仏霊場巡拝の道31番(奈良18番)
例祭 4月4日
主な神事 御田植祭(2月11日)

本殿
二の鳥居と拝殿廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は奈良県北葛城郡河合町にある神社である。旧社名廣瀬神社(ひろせじんじゃ)。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣大社。神仏霊場会霊場番号31番、奈良18番。

祭神 [編集]若宇加能売命(わかうかのめのみこと)を主祭神とし、相殿に櫛玉命(くしたまのみこと)、穂雷命(ほのいかづちのみこと)を祀る。

由緒書では、若宇加能売命は伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神であるとしている。広瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)ともいう。龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。ただし、本来の祭神は長髄彦であるとする説もある。

相殿の櫛玉命とは、神社の説明では饒速日命のことである。社家の樋口氏は饒速日命を祖神とする物部氏の末裔であり、社家の邸宅内には饒速日命を祀る境外末社・饒速日命社がある。

歴史 [編集]鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川、大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが合流する地点であり、このことから水神を祭る。社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長・広瀬臣藤時に託宣があり、水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化し橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。『日本書紀』天武天皇4年(675年)4月10日条には風神を龍田立野に、大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述があり、これが4月・7月に行われる広瀬大忌祭の起源とされている。

延喜式神名帳では「廣瀬坐和加宇加売命神社」の名称で名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛を受けると記載されている。永保元年(1081年)に最高位の正一位の神階を受けている。後の二十二社の一つともなった。明治4年、官幣大社に列格した。第二次大戦以降、廣瀬大社と称するようになった。

祭事 [編集]御田植祭は、大忌祭の御田水口祭礼に由来するもので、砂を雨に見たてた祈雨の神事である。拝殿前の広場を田に見立てて田植の所作を行い、それに対して参詣者と田人・牛に扮したひとが一斉に砂をかけあうもので、「砂かけ祭」とも呼ばれる。

文化財 [編集]本殿 奈良県指定文化財(建造物)
砂かけ祭 河合町指定文化財(無形民俗)

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