2019年1月 1日 (火)

2019年、明けましておめでとうございます。

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2019
年、明けましておめでとうございます。
いよいよ還暦を迎えます。
本来なら、今年定年の予定でしたが、予想外の展開で早めに仕事をやめてしまい、あっという間に5年経ってしまいました。
自分に何ができるのか、するべきなのか、いろいろ考えました。
結果、「テニス」と「本」に私なりのアプローチをしていくことにしました。
つまり、これまでとあまり変わることなくボチボチ生きていくことになります。

昨年は、日本テニス協会広報委員として、デビスカップ、フェドカップだけでなく、全日本ジュニア、全日本選手権もお手伝いさせていただきました。トーナメント全日程に係るのは、学生テニス連盟の役員だった学生時代以来ほぼ40年ぶりのことでした。
日本のテニス界の現状に少しだけですが触れることができました。
懐かしい先輩、同期、後輩との再会もありました。
そして、テニスが私の人生に大きな影響を及ぼしていることをあらためて感じました。

ジュニアの頃に指導していただいた方々のほとんどが、ボランティアだったと思います。素晴らしい方ばかりで、今思えばとても贅沢なことでした。
高校時代はチームメイト、パートナーと当時大学生だった先輩のコーチに恵まれ、世間知らずの生意気で迷惑ばかりかけていた私もインターハイに出場できました。
私のテニス人生最大の華です。
そのおかげで大学に進学できて、そこでも素敵な仲間や先輩に出会いました。

今、私がテニスを続けていることが、今まで出会った皆様へのせめてもの恩返しだと思っています。そして、これからも私なりにテニスの素晴らしさを出来るだけ沢山の人に伝えていきたいと思います。

本年も、そしてその先も、どうかよろしくお願い申し上げます。

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2018年12月 2日 (日)

18017.『空に向かってかっ飛ばせ!』 筒香嘉智

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18017.『空に向かってかっ飛ばせ!』 筒香嘉智


もともと阪神タイガースファンだった私ですが、最近の野球にはほとんど興味がなくなりました。特に高校野球は昔から嫌いです。
我が高校では地区大会一回戦も勝てないどころか、ある年には部員が足らず参加もできなかった弱小野球部には合宿が認められ、インターハイ出場した我らテニス部やほかすべての運動部には認められていませんでした。別に合宿なんてしたくなかったけど理不尽だと思いました。なんで野球部だけが特別扱いなんだ。

乳母車の娘と散歩していた公園のグランドで練習していた少年野球チーム。咥え煙草でノックをしながら選手たちに罵声を浴びせている大人。悲しくて忘れられない光景です。親は何を考えてそのチームに子供を参加させていたのでしょう。子供たちが可哀そうでした。20年近く前のことです。

「野球」に根付く「根性」とか「気力」とか「努力」というイメージがなんとなく胡散臭いものだと感じていたのが、好きになれない理由だと思います。

野茂さん以降、大リーグに挑戦した選手たちはそんな「野球」より「ベースボール」というスポーツをしたいと思ったのではないでしょうか。イチローさんや大谷さんなど、皆さん「アスリート」と呼ぶにふさわしいと感じます。一見グローバル化している「野球」ですが、旧態依然としたものが蔓延っているみたいです。
最近ではさすがに咥え煙草はないだろうけど、厳しい言葉で叱責することを「指導」だと勘違いしている大人はまだまだいるようです。そして、そのことが少年野球人口の減少の一因であると筒香選手も考えています。

私はこの類の本はあまり読まないのですが、「勝利至上主義が子供の将来を奪う」など、野球界の現状を憂い、慣習としか思えない古い考え方からの脱却を提言していると思われる目次を見て、思わずKindleをポチってしまいました。

筒香選手は、私の現在の地元にある少年野球チームの出身です。彼は理解ある良い指導者に恵まれて現在の自分があると書いています。そして、子どもの将来を見据えたチームやリーグの運営に携わっています。その考え方は合理的だと思うし共感できます。陰りがあるといえども、日本第二の国技とも言われる野球です。より良い方向に向かって欲しいと思います。


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2018年5月24日 (木)

日大アメフト部関連の記者会見を見て思うこと

日大アメフト部関連の記者会見。選手の記者会見を見て思ったことを書こうと思っていたら、いきなり監督、コーチが記者会見した。巷にあふれる論評のほぼすべてが、選手の記者会見は素晴らしく、監督、コーチのものは最低レベルであるというもの。

私も世の論評に同意。監督、コーチの会見では、発言の度に彼らが指導者として能力に欠けていると思わせるばかり。しかも、司会者の仕切りは、アメフト部だけでなく日大広報も無能であると証明してしまいました。日大には危機管理学部があるようですが、受験生にはおすすめできませんね。

思うのは、私は幸せであったということ。

50年近くテニスをしています。高校、大学では体育会に所属していました。
小学生で初めてコートに立って以来、出会い、指導していただいた方はすべて素晴らしい方ばかりでした。
選手として素晴らしい実績を持ちながら、ボランティアで。世間を知らず、生意気で、体力もなく、技術も未熟な私を見放さず相手をしてくださいました。怒られたり、感情的に何かを言われたという記憶はありません。

何よりも、私に50年間もテニスを続けさせてくれたことに感謝しています。

テニスを通じて知り合い、受け入れてくれた皆さんのおかげで、私はこれまで生きてこられました。いや、ホントに。大袈裟でなく本気でそう思っています。

今回のアメフト問題。日大指導者の最大の罪は、選手がアメフトを続けられなくなってしまったことだと思います。

ジュニアや学生スポーツの指導における最大の目標は、その競技を好きになり、一生続けられる環境を作ることだと思います。どんなスポーツでも、上手くなった方が楽しいし、勝てば嬉しい。負ければ悔しい。でも、勝者が存在するには敗者が必要です。どんな競技でも、お互いのリスペクトがなければ成り立ちません。だって、最終的な勝者はただ一人。他はすべて敗者。勝たなければ意味がないことになれば、ほとんどの人が競技をする意味がなくなってしまうじゃないですか。勝利至上主義はありえないのです。

テニスのチャンピオンスピーチは、対戦相手を称えることから始まります。そして関わった方々へ感謝します。日大指導者の一連の発言には、敬意や感謝が全く感じられません。彼らが指導するチームが学生アメフトの頂点にいるということが残念でなりません。アメフト競技全体が大きなダメージをうけた事件だと思いますが、関学他、真剣に真面目に取り組んでいるチームの皆さんには、頑張って良いプレーを見せてもらいたいと思います。

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2018年5月22日 (火)

体育会のくだらない慣習

日大アメフト部事件は、タックルされた関学選手が被害届を提出、タックルした日大選手本人が記者会見という最悪の展開になりました。日大内田監督の言動に納得できないことからの対応のようです。

内田監督は自身が反則を指示したかどうかについては明言しませんでした。非難される最大の理由はここですが、相手校の学校名を間違えていたというのも大きく非難的に報道されています。

私も一応、大学体育会出身です。体育会の常識としてライバル校の校名を間違えることはあり得ません。この一点だけでも、私はこの監督を信用することはできないのです。

テニスは完全に個人競技ですが、団体戦も行われます。強い選手から順番に対戦して勝敗を競います。対戦前にオーダーを交換するのですが、これが大層で大変でした。奉書紙に墨書きで、自校の選手名を書きます。ここで相手校の正式名称を間違えると大変なことになります。対戦を拒否されても仕方がないほどの事態となるのです。

部の正式名称というのも曲者なのです。名門慶応は「慶応義塾体育会庭球部」だったと思います。「慶応」の後に「大学」が入らないのです。当時はほとんどが「庭球部」でしたが、「テニス部」のところとか、「硬式」が入る、入らないとか。必ず、相手校に確認して、試合の前日には大騒ぎしながら、厳粛にオーダーを書いていました。くだらない、無駄な慣習かもしれません。今ではこんなことしていないですよね。決められたフォーマットに記入しているのだと思います。もしかしたら早慶戦くらいはやっているかな。

この奉書紙のオーダーには、対戦を大切に思う気持ちと相手校へのリスペクトが込められていたのだと思います。オーダー交換の方法が変わったとしても、この気持ちは忘れてはいけないと思います。大仰なオーダー交換は残してもいい体育会的慣習だったかもしれません。本質を忘れなければ。

こんな時代に体育会を経験した、決して真面目ではなく、練習はサボりまくっていた、体育会嫌いの私でさえ、相手校の正式名称を間違える奴なんて信じられません。

体育会体質の中に、上級生、OB、指導者に絶対服従があるようです。悪しき慣習ですよね。「絶対」に「服従」なんて論外。お互いがお互いを理解して、同じ目的に対して邁進するのが真の体育会体質だと思います。指導者は信用、信頼、尊敬されてこそ指導者です。

スポーツの世界では勝者はただ一人。他はすべて敗者となります。敗者がいなければ勝者は存在できません。特に大学スポーツにおいては「勝利至上主義」はあり得ないと思います。

日大アメフト部が「勝利至上主義」のために、選手に「絶対服従」を強いて起こってしまった、としか思えないこの事件は、アメフトだけでなく大学体育会全体を貶めるものだと思います。

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2018年5月21日 (月)

日大アメフト部の事件

国民的事件となってしまった「関学VS日大 アメフト定期戦における違法タックル事件」。日大の内田監督がやっと姿を現し、関学関係者に謝罪して辞任を表明しました。内田監督はさぞ悔しい思いをしているでしょうね。

「なんで私がこれだけ非難されてマスコミに血祭りにされて辞めなくてはいけないのか」
と。

「あそこまで露骨な反則なんて指示していない。ばれない様にギリギリのところでやるのが当たり前だろ。へたくそで馬鹿な選手のせいで私のキャリアは無茶苦茶だ。」
「私は監督という絶対権力者だ。私の思いを忖度し、私に責任が及ばないよう上手くやるのが選手の使命だ。」
なんて思っているとしか思えないこれまでの経過と彼の態度。
そして何も動かない日本大学本体。

内田監督が悔しい思いをするのも仕方ないかもしれません。だって、この国では、最高権力者に忖度して違法行為ともいえることまでするのが当たり前。上からの指示はなかったとさえ言えばそれで終わり。事の顛末は明らかにする必要がないのですから。

内田監督は、潔さを感じさせたいのか
「すべては私の責任。弁解もしない。」
とは言いながら、反則を指示したことは明らかにしていないし、選手を擁護する言葉もなかったようです。24日までに文書で関学側に明らかにするとは言っていますが、期待できないように思います。

誰もが思っていると思いますが、顛末を明らかにして、内田監督にはすべての指導的立場から消えてほしいと思います。

それにしても、今回の騒動では、ほとんど日大サイドを擁護するコメントが見られませんね。

最近の日本では、最高責任者が明確な指示をしているかどうかだけが問題となり、物事の本質を忘れてしまうという風潮がまかり通っています。

高く買うところがあったにもかかわらすそれを安すぎるとことわりながら、権力者が関係しているところに国有地をただ同然で売る。権力者の友人には有利な条件で権利を認可する。立場を利用して相手を怖がらせ、不愉快な思いをさせた役人を法に触れていないと擁護する。すべてが、誰かの指示があろうとなかろうと、行われたこと自体が異常で間違ったことであるにもかかわらず、最高責任は自分の責任ではないと逃げるばかり。周辺は彼を守りことの顛末を明らかにしない。

そんな政治を異常だと思わないで現政権を支持する人がまだ3割もいるこの国のおかしさ。政権を非難する人々に対する誹謗中傷の多さ。であれば、日大アメフト部監督を擁護する人が出るとは思いきや、ほぼ沈黙。日本全体が日大を非難。

このアメフトの問題と同じように、いま日本の政治で何が行われているのか考えなくてはいけないと思います。たかがスポーツの問題で政治と一緒にするな、なんて言わないで欲しいな。



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2018年5月 4日 (金)

憲法記念日

どちらかというと私は護憲派です。今の憲法で70年間やってきて憲法のせいで私に大きな不利益を被ったことがないので、わざわざ変えることないじゃんという程度の護憲です。今以上に世界平和に貢献できて、日本国民が皆もっと幸せに暮らせるようになるのなら変えてもいいと思います。

自民党安倍政権の改憲については、絶対に反対です。改憲の理由やその根拠が意味不明。立憲主義を全く理解していない、または否定しているとしか思えないからです。

自民党憲法改正推進本部発行の『漫画政策パンフレット』を読んでみました。
「その1.なぜ憲法を改正するの?」での改憲理由は、戦争に敗けて戦勝国に押し付けられたものが70年も変わっていなくて、「敗戦国 日本」のままで、「うちのルールを隣の家の人に口出しされているみたいなものじゃない!!」ということのようです。

1945年、日本はポツダム宣言を受諾しました。
現在の憲法がすべて戦勝国の押し付けだったどうかは諸説ありますが、朝鮮戦争やベトナム戦争に派兵することなく復興を遂げたことに、憲法が影響していたことは間違いないと思います。そして、日本はいまだにまぎれもない敗戦国です。世界貿易取引へは事実上参加を許されているだけだし、占領軍は撤退しているように見えるものの、米軍基地や制空権の状況をみると影響が無くなったとは言えないと思います。ルールの押し付けといえば憲法よりも、日米地位協定の見直しなどのほうが敗戦国からの脱却には必要なことだと思います。無責任な軍国主義が世界からなくなり、平和、安全、正義の秩序が実現されるまでは、日本は永久に敗戦国です。その実現のために日本は武力によらず貢献しなければいけないと思います。

日本国憲法は解釈による運用の余地が多く、それが70年間変わらなかった大きな理由だと思います。この漫画に描かれている、「現行憲法が今の時代とかけ離れている。」というのは、あてはまらないと思います。

ということで、この漫画に描かれている憲法を変えなくてはいけないという根拠は、私には納得できるものではありません。

と、ここまで書いたところで憲法に関するテレビ番組が始まりました。
「アメリカが日本に改憲を望んでいた。」「当時の政権、もちろん自民党、の憲法調査会がアメリカに押し付けられた憲法と言い切ることはできないとして、憲法を変えることを棚上げする報告書を提出していた。」
という内容です。
日本国憲法が他国の押し付けである主張するならば、当時の報告書について再検証してからにすべきだと思います。自民党の改憲に関する最大の根拠が否定されています。

憲法が変わってどうなるかについては、書き方がとても巧妙だけど結局は有事の際にそれが有事かどうかを決めることも含めて政権の判断に委ねられ、主権を制限できるようにするってことのようです。

国民投票については、憲法改正の回数が多い国を引き合いに出して、一度も変えていないのはおかしいと書かれています。外国からの押し付けだから変えようと言っているのに、何回も変えている国があるから日本も変えるべきというのはなんとも矛盾しているのではないでしょうか。この件についても、あるテレビ番組でわかり易い説明をしていました。どの国も確実に変える必要があったから変えているのだそうです。

この漫画の結論的なものは、「憲法は国の形を定め国を変えていくもの。敗戦した日本にGHQが与えた憲法のままではいつまで経っても日本は敗戦国のまま。」

憲法は国家の権力を制限し、個人の権利を保障するものです。自民党の改憲に関する主張の根本が違うと思います。

護憲派というと、現在の憲法を全く変えたくないと主張する思考が停止して人のように言う人がいます。世論調査の項目は、変える必要があると思うか有無だけを聞いているものが多いようです。必要の有無が拮抗していて、それ以上に多いのが「どちらともいえない」というのが直近の傾向のようです。どちらも、改憲の内容によって変わってきますよね。護憲派のほとんどは、一言一句このまま変えるべきではないとは思っていないと思います。現政権での改憲については反対が過半数を超えているみたいですね。現政権は改憲の発議の前にまともな議論ができる状況にするべきではないでしょうか。

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2017年12月17日 (日)

大阪女学院のクリスマス礼拝2017

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 今年も娘の通う学校の公開クリスマス礼拝に行ってきました。娘の入学前、2012年以来毎年心洗われる時間を過ごさせていただいています。
 娘はずっと裏方で照明を担当しています。期末試験が終わると毎日練習。本番前の緊張している様子は見ていてハラハラしました。聖歌隊やハンドベルの皆さん、ページェントを演じた皆さんも大変だったと思います。今年も完ぺきでした。
 娘も今年は高校2年生。スタッフとして参加するのは最後になってしまいました。実際の操作は後輩に任せて裏方の裏方にまわったようです。それでも終わった後は達成感と解放感から明るい涙を流したようです。心から「お疲れ様」と言いたいと思います。
 とにかく素晴らしい礼拝です。過去にもブログを書いているので、内容についてはこちらを読んでみてください。
 2012ブログ「公開クリスマス
 2013ブログ「入学公開クリスマス
 
 素晴らしい礼拝でしたが、今年はとても残念に思うこともありました。私たちの後方に小さなお子様を連れた方が二組いらしたようで、礼拝の最中ずっとその子供の声にイライラさせられたのです。やっと言葉を覚えたくらいの子供が、本番中ずっと声を出していました。周りの方も気になっていらしたと思います。腹立ちを抑えることに気を取られて、礼拝に集中することができませんでした。
 
公共の場における子供の扱いについてはいろいろ議論のあるところではあります。私はどちらかというと容認派だと思っています。幼稚園や保育園を騒音公害だと排除する人がいることには怒りを覚えます。公共交通機関でのベビーカーは排除されるべきではなく、むしろもっと利用しやすくする必要があると思っています。赤ちゃんは泣くものだから、うるさいと怒鳴ることもしません。むしろかわいいと思います。人ごみの中は子供にとって居心地のいい場所であるわけがなく、連れ出されるのはかわいそうです。泣くのも仕方ないと思っています。
 しかし、周りで迷惑に思う人がいるのも確かです。迷惑をかけて申し訳なさそうにしている親御さんのこともかわいそうに思います。ただ、無神経な親の態度に腹が立つこともあります。
 さて、今回のケースです。礼拝に就学前の子供連れで参加することに必然性はあるのでしょうか。上の娘さんが何らかの形で礼拝に関わっているので下の子も連れて見たいという気持ちはよくわかります。しかし、お祈りやページェント、聖歌、ハンドベルの演奏などの邪魔をしてしまっては、お姉さんにとっても迷惑ではないでしょうか。お子さんにとっても楽しい場所であるはずもなくかわいそうだと思います。私だったら残念と思いつつもまず連れて行かないし、もし行ったとしても確実に子供を連れて退席していたと思います。
 とても腹が立ったので、本番終わりで当人のところに行って、私は迷惑だと思い腹が立ったと言ったのですが、驚いたことに親御さんは全く周りに迷惑をかけたとは思っていないようでした。私が怖い顔をしていることにキョトンとしているようでした。

 在校生の親としては来年が最後のクリスマスです。来年は嫌な思いしたくないです。公開クリスマスへの未就学児の入場を制限するよう学校に申し入れしようかな
悩むところであります。

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2017年12月13日 (水)

17026_フロスト始末〈上〉〈下〉

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『フロスト始末〈上〉〈下〉』

(創元推理文庫) 文庫 – 2017/6/30

RD・ウィングフィールド (),‎ 芹澤 恵 (翻訳)

 身なりには一切気を使わず、髭を剃るのも最低限、指についた食べ物の汚れは服で拭き、ところかまわず煙草を吸い灰をまき散らし、口から出るのは天才的超下品な放送禁止用語。上司の説教は聞き流し、命令は適当に受け流し、詰問されたらはぐらかす。捜査方針は勘違いで失敗ばかり、現場ではいやいやながら汚物と罵詈雑言にまみれながら、犯人逮捕には手段選ばす、自分の地位、立場だけでなく命まで危険にさらす。
 そんなフロスト警部みたいな人に私はなりたい。でも、品行方正真面目一方の私に無理。若くない不摂生に祟られた身体に鞭打ちながらのセクハラおやじの活躍を楽しむしかない。
 楽しませていただいたこのシリーズもこれで終わり。読み終わるのがもったいなくて積読していたのですが、ついに読了。寒い日に暖かい部屋でじっくり読むのがこのシリーズの正しい読み方だと思います。フロスト警部の下品さを噛みしめながらゆっくり読むつもりがついついどんどん読まされてしまいました。
 無神経なようで、亡き妻のことをうじうじ思い悩み、子どもを狙った犯罪に怒り、若い婦人警官を思いやり、同僚や部下への気遣いもあり。こんなフロスト警部にもう会えないなんてとても残念。
 いうことなしの今年ナンバーワン作品。

内容(「BOOK」データベースより)
<上>
今宵も人手不足のデントン署において、運悪く署に居合わせたフロスト警部は、強姦・脅迫・失踪と、次々起こる厄介な事件をまとめて担当させられる。警部がそれらの捜査に追われている裏で、マレット署長は新たに着任したスキナー主任警部と組み、フロストをよその署に異動させようと企んでいた…。史上最大のピンチに陥った警部の苦闘を描く、超人気警察小説シリーズ最終作。
<下>
マレット署長とスキナー主任警部の差し金により、デントン署を去る日が刻一刻と迫るなか、フロスト警部が抱える未解決事件の数は、一向に減る気配を見せない。疲れた身体に鞭打ち、わずかな部下を率いて捜査の指揮を執る警部に、異動を回避する妙案が浮かぶはずもない。法律を無視し、犯人との大立ち回りまで演じる、いつも以上に破れかぶれなフロストが最後につける始末とは?

著者略歴 (BOOK著者紹介情報」より)
ウィングフィールド,R.D.
1928
年イギリス、ロンドンに生まれる。石油会社に勤務するかたわら執筆を始め、68年にラジオドラマの放送作家としてデビュー。72年に小説第一作『クリスマスのフロスト』を執筆するも、カナダの出版社から刊行されたのは84年のことである。同書が評判となり、シリーズ第二作『フロスト日和』刊行後に作家専業となる
芹澤/
成蹊大学文学部卒業。英米文学翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報
文庫:<上> 453ページ  <下> 408ページ
出版社: 東京創元社 (2017/6/30)
言語: 日本語
ISBN-10: 4488291082
  4488291090
ISBN-13: 978-4488291082
  4488291099
発売日: 2017/6/30
梱包サイズ: 14.8 x 10.6 x 2 cm





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2017年12月11日 (月)

第3回大阪ホームレス会議

 「第3回大阪ホームレス会議」に出席しました。
 8年ぶりに開催された今回の「ホームレス会議」のテーマは「食のセーフティネットのいま」。
 平成28年度の日本の食料自給率は、カロリーベースで38%。生産額ベースでも68%です。なのに、まだ食べられるのに捨てられている食べ物、いわゆる「食品ロス」が年間約632万トンもあるそうです。そんなもったいない状態のなかでも、この日本で餓死する人が少なからずいるのです。
 このおかしな状況を少しでも解消するために頑張っているのが、「フードバンク」。
お話を聞かせていただいたのは、フードバンクを利用されているビッグイシュー販売者の方と、以下の皆様。
・高橋実生さん (フードバンクかわさき 代表)
・浅葉めぐみさん (認定NPO法人フードバンク関西 理事長)
・古市邦人さん (NPO法人炊き出し志絆会 理事)
・川辺康子さん (にしなり☆こども食堂 代表)
どんな考えのもとに、どんな活動をしているのかは、それぞれのウエブサイトをぜひ見てください。

 それぞれのフードバンク代表の方は、当たり前のことを普通にやっているという感じでお話しされていましたが、やっていることは社会の歪ともいうべき酷い状況を少しでもましなものにするために確実に必要で役に立っていると思います。本来は政治と行政が担うべきことですが、現状は最低限のセーフティネットであるはずの生活保護でさえ引き下げが検討されているという異常事態。あまりの情けなさに腹立ち、悲しく、涙が出そうでした。
 質問コーナーの最後、大企業が大量に産業廃棄物としてお金を払って処理しているものを引き取ればいいのではないかと参加者からの質問がありました。しかし、現状の法律では、企業は商品を食品として出荷する以外は、すべて廃棄物として処理しなければいけないらしく、廃棄物とされた食品をフードバンクが引き取り他者に提供することはできないそうです。引き取るには寄付してもらうしかないのですが、決裁が必要な経営トップまで話が上がるのは難しいようです。そもそもなんでそんなにロスが出るのかとか、もし事故が起こったら誰が責任をとるのか、なんていうことになり話が握りつぶされるのです。
 特定の要件を満たしたフードバンクに提供を認める特例を認めれば解決するのですが、フードバンクにはロビーイングする資金もなく手詰まりの状況だそうです。
 パネラーの皆さんは行政や政治に対する怒りや愚痴はほとんど口になさらず、腹が立つことはないのか聞いてみたいと思っていましたが、この話をされた時のフードバンク代表の方は、さすがに声も大きく、語調もきつくなっていたように思いました。本来行政が担うべきことなのに、邪魔されているという情けない状況です。
 ビッグイシュー代表の佐野さんは、最後の挨拶で本来行政が担うべきことではあるが、民間の力で人を助けられるようになっていることは社会が良い方向に向いていると思うと話されていました。ボランティアや寄付するのは難しいかもしれませんが、多くの人が現状を理解し、行政や政治に働きかけていくことが必要だと思います。

 最後にこれだけはわかって欲しいこと。
 生活保護の不正受給についていろいろ言われていますが、不正受給率は金額ベースにして0.5%ほど、そもそも生活保護の捕捉率は20%程度しかありません。多くの人がちゃんと仕事をしながら生活保護以下の収入でなんとか生きているのが現状です。現在決められている最低賃金ではフルタイムで働いても自立して文化的な生活をすることができないのははっきりしています。生活保護費の削減は、支給金額を下げることより、最低賃金を引き上げることのほうが効果的だと思います。
 生活保護費を貰いながらパチンコして暮らしているとの非難がありますが、そのパチンコ代は食費を削って捻出するしかありません。「彼らの食生活のレベルは私より劣悪です。」とのビッグイシュー販売者の方の話が印象的でした。

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2017年10月 3日 (火)

嘘つき政治家の始まり

 衆議院が解散しました。来月には選挙が実施されます。
 暗澹たる思いです。
 選挙の本質は、提示された政策のなかから自分が最善と思うものを選ぶことです。勝ち負けではありません。政策を提示して当選した議員は、支持された政策を実行するのが仕事です。当選することがゴールではありません。当選してやっと本来の仕事が始まるのです。
 今回の選挙は、政策を選ぶのではなく、現政権を否定するか否かが問われているだけ。選挙の本質とは違うもののようで残念に思います。明らかに世の中おかしなことになっています。

 政治家は論理的であるべきです。事実を明示しながら、説得性のある政策を提示すべきです。対立を煽り、どちらにつくかを選択させるのではなく、多くの人々が納得できる策を講じるのが、政治家と行政の仕事です。
 嘘をつかないこと。正直であることが論理的であることの前提です。嘘をつき、都合の悪いことを隠すと、その論理は成立しません。

 現政権は、事実を明らかにせず、詭弁を弄し、嘘をつき、感情的な対立を煽り、論理的な議論をできない状態にしてしまいました。まずは論理的政策論争ができる状況にしないと。

 今回の選挙は、現政権を辞めさせられるかどうかだけが焦点。嘘つきを辞めさせるためにイデオロギーや政策は一旦棚上げしての候補者擁立。これも嘘つき。いや、嘘も方便?
 一票を投じることでしか意思表示できない私たちは、どんな投票行動をすればいいのでしょう。現政権への対立候補が嘘つきでないことを願って投票するしかないか。

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